第25話「ユキの激昂」

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第25話「ユキの激昂」

「は?」 強く言った訳ではなかったのに、ビクッと肩を揺らした原田が、膝立ちしたまま唇を離して智幸を見下ろした。 相変わらず自信のなさそうなおどおどした雰囲気で、彼の肩に震える手を置いている。 「あ、ご、ごめ、ん」 「、、、」 一瞬過った筈の晴也の顔は、本当に一瞬で消えてしまった。 いや、正確には消されたのかもしれない。 智幸は「消された」と思った。 「、、お前何してんの?」 晴也の感触を上書きされた。 「ぁの、寂しそうに見えて、あの、」 微かに残っていた感触が、体温が。 あの柔らかくて気持ちのいい湿った唇の味が、今、完全に消えてしまった、と智幸は絶望した。 「ご、ごめ、」 「何してんだよッ!!」 パンッ! 「キャッ!」 苛立った智幸は握った拳の甲で勢いよく原田の右の頬をぶち、立ち上がって彼女を見下ろしながら口元を拭う。 「ごめん、ごめんね、智幸く」 「うっせえなあ!気持ち悪ぃことしてんじゃねえぞクソ女!!」 ズボンに縋りつこうとした手を蹴り飛ばし、再び悲鳴を上げた原田を鋭い目付きで睨みつける。 「二度と近寄るな」 「ごめんなさい、やだ、ごめんなさい、智幸くん!!」 ボロボロと泣き出した彼女を、彼は気に入っていなかった訳ではない。 クソみたいな高校の中でも頭が良く品のある彼女を特別とまではいかなくとも気に入っていた。 だからこそ嫌な事、嫌がりそうな事はせずにそばにいる事を黙認してきたのだ。 (ハルの、ハルの感触がない、) けれどそれら全ては、原田の纏うその雰囲気や頭の良さ、たまに人を見下したように見つめる視線がどことなく晴也を連想させるからこそ気に入っていたのであって、決して彼の代わりになる訳ではないし、晴也と同じ事を智幸が彼女に求めている訳でもない。 上書きされた唇の熱は気分が悪く、何度ワイシャツの袖で拭いてもぬぐえるものではなかった。 (ハルじゃない) 智幸の頭はそれで支配されてしまった。 「智幸くん待って!!」 ぐちゃぐちゃに泣いている原田が脚に縋ったが、それをも蹴飛ばした智幸は素早く自分の鞄を右手で拾い上げると彼女の部屋のドアを開ける。 「待って!お願い、まっ、」 玄関で靴を履いている最中に追い付いた原田が、後ろから智幸の身体に抱きつく。 ふよ、と柔らかい胸が背中に当たったが、そんなものにも彼の身体はピクリとも反応せず、代わりに小さく舌打ちが聞こえた。 「うるせえ!!ふざけんな!お前のせいでハルが消えただろうが!!」 「キャアッ!!う、はっ、、はる?」 振り返った智幸に彼女はもう一度、今度は左の頬を勢いよく叩かれ、よろけて壁に寄り掛かりながら床に座り込んで彼を見上げる。 ぶたれた両方の頬は痛んだ。 ジンジンと熱を持っていて、その内腫れ上がってくるだろう事は何となく分かる。 そんな痛む自分の頬よりも、彼女は智幸の口から出た名前を気にして泣き始めた。 (はる、、?誰?お、女の子?) 「二度と近寄るんじゃねえぞ」 もう一度、脅すようにきつく睨まれる。 「や、、やだ、、や、」 (私、少しも気にされてなかったの?) 見上げた先のドアが開いた。 「智幸くん!!」 振り向きもしない背中は閉められたドアの向こうに消え、しばらく聞こえていた足音もじきに聞こえなくなると、原田は座り込んでいる床を見つめて目からこぼれ落ちる涙が水溜りを作っていくのを眺めた。 「何で、、私、そんなに可愛くない?そんなに気にされてなかったの?」 ずっと見てきた智幸に、初めてハッキリと拒絶をされた彼女は呆然としている。 あまりにもショックで、何トンもの錘で頭を思い切り殴られたような感覚がした。 「はるって誰、、そんな女の子いた?クラス?学校?誰?」 カフェに立ち寄っていた光瑠を見つけた智幸があまりにも寂しそうで、それが可哀想で見捨てられなくなった彼女は智幸を1人にしたくなくてここに連れてきた。 ぬいぐるみを掴んだまま目を閉じて疲れたように息をついた彼を見て、自分が癒せるのではないかと思ったのだ。 だから、キスをした。 「ねえ、はるって誰!!そんな女の子知らない!!」 癒したかった。 求めて欲しかった。 流れで一度セックスしてしまえばいいのではないかと思ったのだ。 身体から始まって恋になる事だってある。 今、確かに智幸は誰とも付き合っていない。 少し前までは誰かしら女の影があったのにそれが急になくなった。 由依が何かした訳でも彼女と寝ている訳でもない。 だから、自分の番が来たと原田は思ったのだ。 バン!! 普段の彼女からは考えられない程、強い力が床を殴った。 「はるって誰なの!!」 智幸の携帯電話を見れる訳もない。 聞き出そうにも彼には「二度と近寄るな」と言われてしまった。 「はるが消えたってなに、、その子とはもうキスしてたの?私のあれは、」 すぐに思い出される智幸の唇の感触が愛しくて堪らない。 (初めてだったのに) 勇気を振り絞って、こっちを見て、と言いたくてしたキスだったのに、相手には全然伝わらなかった。 (特別だったのに) そう思い出すたびに、どす黒く気味の悪い感情が肺の中に広がっていく。 「はるって、誰」 いや、待てよ。 そんな名前のやつが、彼の周りにいなかったか?
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