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ハインズが初めて彼女と会った時、彼女は時計塔の片隅で黒いペンキをぶちまけていた。
バケツごと派手にまき散らされたペンキが、薄茶色の石畳みの床に大きなシミを描く。時計塔の最上階にある大きなアーチ型の窓枠から覗く景色は既に夜に近い夕刻だった。沈みかけて僅かな光だけを残す夕日が彼女の腰まで届こうかという長い金髪に煌々と反射して影を作っている。何の感情も浮かべることなく、ただ自らがペンキで染めた石畳の角を見つめている彼女の顔は青白く、陶器じみた顔にはまった目は宝石のように蒼い色をしていた。
ふと、何の予備動作もなく彼女の顔がハインズの方に向けられる。
長い髪がゆるりと移動したことで、隠れていた彼女の右手の指に、銀色の指輪がはめられているのが不自然に浮き上がって見えた。
全く表情の変わらない彼女の顔を前に暫し沈黙して、ハインズが自らの手に収まっているモップを意識しながら口を開こうとしたのと、彼女が口を開いたのはほとんど同時だった。
「──私、時計って嫌い」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
彼女の口調はまるで世間話でもするような何気ないもので、だからこそ全くその場に雰囲気にそぐわっていなかった。
「どうしていつも、一分は六十秒なのかしら。たまには一分が一秒でも、六十秒が三分でもいいと当然思うの。だって、毎回同じだなんてそんなの考えなくてもおかしいと思うし、理不尽だと思うじゃない?」
そこまでほとんど一息だった。
ハインズにはその時彼女の言っていることの半分も理解できなかったし、その怒りは理不尽なのじゃないかと思った。それと、それは恐らく時間に向けられた怒りであって時計に向けられる怒りではない、とも。
そんな言葉を全部含めて、「そう」とだけハインズは応えた。
彼女は満足そうに一つ頷いた。
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