飛べる翼はあるのに

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 彼女が時計塔に訪れるようになってから半年も経つと、彼女が時計塔にいる風景は日常になって、その頃にはハインズも彼女がどうしていつもペンキをまいていくのかすっかり聞きそびれていた。  ハインズは通常時計塔の下の階から掃除を終わらせる。  だから彼女がやってくる最上階は後回しになるのだが、困ったのはそうすると一向に彼女が汚していくペンキの汚れが綺麗にならない、ということだった。  ハインズは一日の終わりを毎日ペンキ汚れと格闘することで終わらせていたが、水場が近くにあるわけではないペンキ汚れは少しずつしか取れず、また、汚れが落ち切る前に彼女が新しくペンキをまき散らしていくものだから、汚れは日に日に酷くなっていく一方なのだった。  ただ、ハインズは不思議とそんな日々を煩わしいとは思わなかった。  それはハインズが時計塔の清掃員として働き始めてからの単調な日々に初めて起こった非日常で、ハインズ自身自覚していなかったが、彼女との会話はそれだけで刺激的で心躍るものだったのだ。いつしかハインズは、気付けば彼女とのささやかな邂逅を心待ちにするようになっていた。  最初は彼女がほとんど一方的に喋りかけてきていた会話も、その内ハインズからも多くの言葉を交わすようになり、二人は時計塔から見える木の葉が落ちたというような些細な話から、隣の家に住む奥さんの家庭事情まで実に多岐にわたって様々なことを話した。  それでも相変わらずハインズは彼女のことを何も知らなかったし、むしろ彼女の近所に住むという住民のプロフィールの方が多く言えるほどだった。  そんな日々は季節は巡って、青緑だった葉は赤くなって落ちて、チラチラと雪が降るようになった頃まで続いた。
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