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私からあなたへ
12月14日はもうずいぶん前に亡くなった僕のおばあちゃんの誕生日だ
それがどれくらい前かと言えば僕が15歳になる直前の時になるのだけれど
僕が今何歳なのかと言えばもうおじさん
だけど僕にとって僕はどうでもいいんだ
それよりおばあちゃんが大事
僕はおばあちゃんに育てられた
そりゃ僕はおばあちゃんの子どもではないし孫なんだから母親も居ることは居たんだが思い出したくない
きっとそういう事情のある人もいっぱいいると思う
僕がおばあちゃんから学んだことは戦争についてだった
おばあちゃんは中国体力満州地方の移民帰りだった
この話を聞いてた頃はまだ幼くて
何故おばあちゃんたち日本人が日本ではない国に住んでいたのか不思議に思うことさえなくて ただただ同じ人間同士がなんで戦争っていう怖くて悲しいことするのだろうって思いながら聞いてた
おばあちゃんたちの正確な記録は残って居ないし 僕自身も記憶が薄れつつあるのだけれど おばあちゃんは8人要る子どものうち2人を戦争で亡くした
子どもを失う辛さ 多分僕がおばあちゃんを失う辛さより辛いんじゃないかと思う
人の死は比較するものではないのだろうけれど
おばあちゃんはおばあちゃんで晩年死を願っていたそうだからってのもある
先立ったおじいちゃんの元へ行きたい
と日記に書いてあったんだ
おじいちゃんは身体が弱かったから戦争に行けなかったらしい
それは僕の身体も弱かったからよくわかる
おじいちゃんはとってもいい男だった
豪快で 強がりで
「愛する夫の側で只老いていく自分が辛い」
おばあちゃんの日記にはそう書いてあった
書いてあったんだ
おばあちゃんて女だったんだ
不思議ではないけれど孫の僕としては妙というか それは僕がまだ幼い子どものままだからなんだろね
そしておばあちゃんは母でもあった
自分の子どもが暴力団員に捕まってしまった時、その暴力団事務所に一人で乗り込んで行って
「煮るなり焼くなり好きにしやんせ」
って叫んで大の字になって身体を差し出したらしい
母だよね
おばあちゃんが子どもの頃 不幸な子ども時代を送ったそうなんだけど
まあ言ってしまえば確たる母親像を知らないまま母親になったから
子どもをあまりに甘やかしすぎてしまった
そのしわ寄せはその子たる孫、配偶者
あるいは関わる周辺の人々までわたってしまったのだけれど
それは孫としては責められないよね
困っている人を見捨てられず、ホームレスのおじさんに声をかけ、家に招いてお風呂と食事を支度してもてなしていた
おじさんは僕が会うたびに涙を流して感謝していたよ
大好きなおじさん
優しいおじさんだった
身元不明の浮浪者が出入りすることで近所の人達には嫌われてしまったけどおばあちゃんはえらいって僕は思ってた
大人になった今思うとそれは確かに危険な事で近所の人達が警戒するのは無理もないことで どちらも正しいと言えば 正しさとはなんなのか?
というところまで行き着いてしまいそうなんだけど
近所の人達は安全に留意する社会組織の一員として賢明
おばあちゃんは人として人間らしい慈悲の心を持って困っている人に接した
そういうことなんだと僕は思う
今日の話
僕はハンバーガーを2つ買ってきた
晩年僕が気まぐれに買ってきたハンバーガーをおばあちゃんにあげたら
「こんな美味しいもの今まで食べたことない」
って感激してた
以来ことあるごとに僕にお小遣いをくれて
「これでこないだの美味しいものを買ってきて頂戴」
って嬉しそうにしてた
おばあちゃんの亡くなった時の話は嫌だからしないけど、それからずっと12月14日には必ずハンバーガーを2つ買ってくる
お墓に供えてたんだけどお墓
ちょっと遠いところに行っちゃって
だからおばあちゃんの好きだったテレビの上に2つ置く
たぶんおばあちゃんは「私はいいから早く食べんね」って言うだろうから1つとって食べる
美味しい ハンバーガーはこの12月14日しか食べないんだけどすごく美味しい
僕はむしゃむしゃ食べる
食べ終わる
そうなるとするとね
ハンバーガーが一個
無くならない
無くならないんだよね
食べる人が居ない
テレビの上にずっとある
それを見ると
ああ おばあちゃんってもう居ないんだなぁ って思い知らされる
それが辛い
だから眠る
目覚めるともうそれは12月14日ではなくなるから、無心に只のハンバーガーを食べる
胸が痛い
そういう日
つまりだから12月14日は
私からあなたへ
亡くなった人を思い出して忘れない日を忘れないようにして欲しいって
この話をしたんだよね
わかってくれたかなぁ
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