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恐ろしの王
「散々可愛がられたのを忘れられず、戻ってきたのか」
まあ良い、と王が続ける。お前の剣を寄越せ、と。
「アネモイ! 今すぐ、剣を捨てて逃げろ!」
剣を持ち上げることもできないくらい非力な青年を、そして男の叫びを、王は嘲笑った。ユーロスも馬から降りて青年のところに駆け寄ろうとしたが、それよりも王が立ち上がる方が早い。
「こっちへ来るんだ、アネモイ! 頼むから……飛べ!」
遠くから、集団が近づいてくる音がする。王が引き連れている騎士団がまだ残っていたのか。アネモイがこちらに振りむこうとする。そんな青年からあっけなく剣を奪い、振り上げた王に向かってユーロスが再び叫んだ時。
王は、思いっきり地面へと叩きつけられた――青年の、翼によって。
「ユーロス! 見ろ、北の国の旗だ!」
混乱をきわめる中、後ろからかかった友人の声を聞きながら、ユーロスはようやく駆け寄ると、有翼の青年を抱きしめていた。王が意識を失った状態で、北の国の軍が現れ、騎士たちの意気はますます失われていく。友人がユーロスに代わって王を抑え、その首に剣を向けても、もはや誰も止めることすらしない。
「……もしかして、僕は必要なかったかな?」
ユーロスと、友人と、その友人の手にかけられそうになっている王と。
気概を失った騎士たちが自然と開けた道を通って、一人の少年が現れた。その両脇、後ろには体格の良い男たちが守りを固めている。ユーロスたちとは違う、色の旗――そして、ユーロスは彼の少年と、昨年会話をしたことがあった。
「北の国の王……」
ぼそりと呟いたユーロスに、少年は笑顔を見せる。それから、小首を傾げて見せた。
「貴方の腕の中にいる、その有翼の子がね。そこにいる男が、僕たちの国をまた侵攻しようとしていると、教えてくれたものだから。これは、我が兵力を持って歓迎しなければと、そう思ったのだけれど」
驚いたユーロスがアネモイを見やると、青年はばつが悪そうな顔をした。もしかしたら、ユーロスに怒られると思っているのかもしれない。
「その子が、貴方のことは悪くないんだと一生懸命訴えてくるから……可愛かったのもある」
背も面差しもまだ少年のものに見えるのだが、既に王たる風格を備え持つ少年がまた笑った。アネモイにまた視線を戻すと、今度は顔が真っ赤になっている。
「だが……、アネモイは……話せないはずだ」
「話せなくても、彼は字が書けるでしょう? 見返りに、何をくれるの? って聞いたら、自分の命でもなんでもいいって答えるのだもの。あまりの健気さに、うちの宰相たちが号泣しちゃって。何とか助けて来いって、国から追い出されてしまったのが本当のところかな」
そんなことを。呆然と呟いたユーロスの腕の中で、アネモイが悄然と項垂れている。折角飛べるようになった力強い双翼も、折りたたまれることもなく項垂れて、地面にまでくっついている。
「その子の代わりにこの男をもらっていくから、これで終わりにしよう。貴方がたが、最後まで王を戻そう、何とかしようとした努力は、きっとこれから国を立て直す力になる。まあ、内部でごたごたして自滅するならそれまでだろうし。他の諸国には僕から書簡を送っておくから。後は貴方がたの努力次第だろう。この見返りは、落ち着いたころにでも、我が国の雪かきを手伝ってもらおうかな」
少年はまた、少年らしからぬ大人びた笑みを浮かべた。そうして友人が抑え込んだままの王の手前まで近づくと、しゃがみこんで楽し気に見ている。
「これは、いらないでしょう? 今まで他の種族たちに行った被虐が、自分に返ってきた時……どんな声で啼くのか、とても楽しみだ。君たちの王は今日、この場にて死んだ」
気絶したままの王を、己の護衛たちにてきぱきと捕縛させると、そのまま護衛たちを連れて引き上げていく。引き連れてきた北の国の兵たちの何割かは、落ち着くまで好きに使えば良いと言って残された。
あっけに取られる中、「そういえば」と友人が口を開いた。
「噂に聞いたことがある。北の王は、魔術が使えるだとか……ずっと齢を取らないだとか」
「――そんな恐ろしいものと、対峙していたのか」
ぼやいたユーロスの腕の中で、青年がもじもじと動いた。もしかして苦しかったのだろうかとユーロスが手を離すと、青年はそのまま後退り、深々とユーロスに頭を下げた。
「もしかして、ユーロスに謝ろうとしているんじゃないのか」
「……アネモイ?」
友人の話を半分に聞きながら、次にユーロスが青年の名前を呼んだ時、青年が翼を動かした。どこかへ行こうとしている――そう思った瞬間、強く、青年の腕を掴んでいた。
「行くな!」
深い青の眼差しが戸惑いながらユーロスを見てくる。少し前まで、この手を離せると思っていた。だが、青年は自分が殺されるかもしれないのに、本当ならずっと時間がかかるはずの道のりを必死に飛び続けて、己を助けようとしたという。
「勝手ばかりですまない……行けと言ったり、行くなと言ったり……。もし、アネモイがいても良いと思ってくれるのなら……」
アネモイは広げていた翼をたたむと、困ったように小首を傾げて見せてから、笑った。
「……名前。おれはね、エン……といいます。それしか、もう分からないけれど……」
たどたどしくはあるけれど、それは間違いなく青年が発した言葉だった。
「おい。この子は話せないんじゃなかったのか、友人殿」
隣で揶揄してくる友人の声も、今は遠い。
「……そうか。エン、という名前だったのか……」
「ユーロス。苦しい、です」
強く抱きしめたユーロスに、青年は笑いながら身じろぐ。そんな青年の形良い唇に、ユーロスは深く口づけていた。
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