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その日もランチタイムの忙しさが去った夕方頃、祓戸が店のドアチャイムを鳴らした。
「詩、いつものくれよ」
彼はゆったりとした足取りでやってきて、カウンターを挟んだ正面に座る。
特に店の役に立つこともない氏神は今日も健やかそうだ。
「いつものですね」
ブルーマウンテンの瓶に手を伸ばすと、洗い物をしていたソンミンが口を挟んだ。
「何『いつもの』で通じ合ってるんですか。その招かれざる客には僕が水道水でも飲ませておきますから店長は座っててください」
「水道水……」
祓戸が死んだような目をして詩を見る。
ソンミンが、水で満たしたコップを彼の前に置いた。
「美味しいですよ? 東京の水道水は」
「知ってるよ……。毎朝、詩からもらってる」
おそらく神棚に上げている水のことだ。
「いっそのこと毎朝コーヒーも供えてくれよ。豆はブルーマウンテンで」
祓戸が水のグラスを覗き込みながら言った。
詩がその要望に応える前に、ソンミンが切り捨てる。
「調子に乗らないでください。水で十分です!」
「コーヒー!」
「ほら、2人ともお客さんが来たから……」
初めての客だろうか。身内だけだった店内に、スーツ姿の若い女性が入ってきた。
「いらっしゃいませー」
詩が営業スマイルで出迎える。
「店長さん、その節は……」
女性はドアをくぐったところで足を止めると、突然深々と頭を下げた。
「え、誰ですか?」
「誰だよ」
ソンミンと祓戸がソワソワしだす。
彼女が誰なのか、詩にもすぐにはわからなかったけれど……。
「この前、バッグを取り返していただいた……」
「あああ……! あの時の……」
ようやく詩も思い出す。飲み屋でバッグを渡した時は、服装が違ったからわからなかった。
「あの時お名前を聞きそびれてしまって、気になっていたんです。そうしたら、たまたまコレにこのお店のことが載っていて」
そう言って彼女が見覚えのあるバッグから出したのは、この地域で配られているフリーペーパーだった。
ドリップポットを手に微笑む詩の写真が、表紙に大きく使われている。
「ああ、この前取材に来てたやつ……」
「なんですかそれ!? 僕にも見せてくださいよ!」
ソンミンが近づいていって、食い気味に彼女の手元を覗き込んだ。
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