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「うわっ!」
硬い金具が顔に当たった。
「待って、このバッグ」
とっさにバッグをつかみ返す。
女物だった。
「無銭飲食じゃなくて置き引き!?」
飲み屋で酔った女のバッグを取って逃げようとしたんだ。だから店の人に声をかけられ逃走した。
全力で走って逃げたのはそのせいだ。
男も必死だった。雄叫びをあげながら詩を突き飛ばす。
詩の手からバッグが離れた。
バッグが石畳の上を転がり、それを男が拾い上げようとした時。
「そこまでだ!」
誰かが男の手を踏みつけた。
(え……!?)
男がぎゃっと悲鳴をあげる。
彼の手を踏んでいるのは裸足に藁草履……。
あの和装男子だった。
突き飛ばされ尻餅をついていた詩は、唖然としてその姿を見上げる。
立ち姿が絵になっていた。
境内の木々をサワサワ鳴らした夜風が、彼の長い髪をなびかせる。
「何があったか知らないが、泥棒はいけねえな」
腹の底に響く声。
置き引き男は気持ちをくじかれてしまったのか、転がるバッグはそのままに、フラフラとどこかへ消えてしまった。
「……ああっ、お会計」
遅ればせながら言うものの、詩にももう追いかける気力がない。
和装男子が詩を助け起こした。
「すみません……あなたはもしかして、あの人を追いかけて?」
彼は口の端を持ち上げ、肩をすくめてみせる。答えはYESなんだろう。
「そうですか。バッグ、取り返せてよかったです。ありがとうございました」
女物のバッグを拾って礼を言うと、彼は首を傾げてみせた。
「礼を言うなら昼間のコーヒー代」
「……?」
「今のでチャラにしてくれよ」
「……!?」
なんと答えていいのかわからない。
泥棒はいけないなんていいながら、この人はコーヒー代を払うつもりがないのか。
「なあ、詩」
答えられずにいると、なぜか親しげに名前を呼ばれた。
男の右手が伸びてきて、詩の顎を持ち上げる。
赤みがかった瞳と目が合った。
「誰なんですか? あなたは……」
やっぱりこの人には既視感がある。
「俺は……」
男の視線が、網膜を通して詩の目の中まで入り込んできた気がした。
「俺は祓戸の神。詩、お前が毎朝毎晩手を合わせている相手だよ」
(ああ、それで初めて会った気がしないんだ……)
普通なら信じられないような話なのに、詩はすんなりそれを受け入れていた。
「詩、言いにくいんだが、お前に言わなきゃいけないことがある」
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