佐々木さんが、亡くなられました。

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佐々木さんが、亡くなられました。

最初にその傷に気が付いたのは誰だったのか。 確か、着替えている時に優奈が気づいたのだったか。 「あの子、何でもないって笑っているけれど、やっぱりあんなに腫れ上がってるのはおかしいわよ。」 こそっと耳打ちされて、僕らは渋い顔をした。 「そんなに、だったのか?…ちょっと、注意深く見とくよ。ほら俺、千歳の後ろだし」 大輝がにこ、と笑うのを見て安心する。 大輝は何でも良く気がつくから、きっと優奈が勘違いしてた事をすぐに証明してくれるだろう。 だって、千歳は普段と何も変わらないんだから。 僕らはずっと四人で居た。 歯車の様にカシャン、カシャン、と噛み合って生きてきた。 まるで四人が出会う事は必然だった様な居心地の良さは、ずっと生きづらかった僕には救いの様に思えた。 昔から、ずっと水中で助けを求めてガボガボと足掻いている生きづらさを抱えて生きていた。 虐められている訳ではない。 両親が嫌な訳でもない。 何か困ったことがある訳でも、強いコンプレックスを抱えているわけでも無かったのに、無性に死にたくなる事があった。 電車を待っている時や、綱引きの太い綱を見た時、ふと脳裏によぎるのだ。 意思のない肉塊になりたい訳でも、首を吊りたい訳でもないのに、喉を掻きむしりたくなるくらいの欲求に駆られる。 このまま人生を無意味に生きていたくないと思いながらも、勇気が無くてただダラダラと生きていた。 そんな中でこの三人に会えなかったら、きっともう耐えられなくて死んでしまったのだろうと思う。 「優奈、お前のいう通りだ」 大輝がホームルームの終わった後、優奈の机の所に来て行ったのを隣で聞いていた。 「やっぱり、そうなの?」 大輝も、千歳の身体の幾つかの場所に殴打の痕が痛々しく腫れ上がっていたのを見たという。 「ねー、何の話ししてるの?」 私も話に混ぜて、と渦中の人物が話に入ってくる。 僕の背中にのし、と乗りながら首を傾げる彼女に2人は重々しく目配せをする。 「話すべきだと、思うよ。あと千歳重い。」 普段は見えないガムテープが貼られている僕の口も、ここだけならさらりと言葉が出る。 「でも…判った。千歳、ちゃんと言いなさい」 「うぇっ、なになに、私の話?」 掴み掛からんばかりの勢いだが、そうしないのはきっとあるかもしれない傷を慮って。 「あんた、その傷誰につけられたの」 「え、んん?」 ごめんな、と一言入れて僕が彼女の袖を捲る。 「これ、…普通に生活してて出来るものじゃあないでしょう」 言葉を一瞬詰まらせながらも優奈が詰め寄る。 「優奈も怒ってる訳じゃないんだ、話せる範囲でいいから話してくれない?…僕らも心配してるからさ。」 話しやすい様に柔らく言う。 うー、とか、あー、だとか悶々と悩んだ後、重々しく千歳は口を開いた。 「…あのさ、大事にしない?」 「しないしない!四人の内緒な」 うんうん、と首が千切れるくらいの強さで大輝が肯定する。 「最近の、話なんだけど」 その話は、到底僕らには許し難い話だった。 千歳の母親が少し前に亡くなっていたのは知っていた。僕らが出会う直前だから、半年程前だろうか。 僕らも手伝える事があれば、と千歳の妹の送り迎えを手伝ったりすることも何回かあった。 親父さんは、とても優しそうな人で、いつもごめんね、と柔らかく迎え入れてくれる人だったのに。 その父親が、暴力を振るうらしい。 その話を聞いて、僕はすぐに立ち上がりかけた。 「奏、落ち着きなさいよ。私も、同じ気持ちだけれど。」 肩を掴まれ、ガタンと座らせられる。 「毎日じゃないのよ、それに、妹に暴力を振るったこともないし。…私だけ、我慢してれば全部大丈夫だから。それに、今までお父さんには我慢させすぎてたから」 「馬鹿ッ」 優奈の怒声と共に、今度こそ立ち上がってしまった。 今度は、違う感情を持って。 「…何で、頼ってくれなかったんだ」 女の子を抱きしめてしまったとか、そう言う事は後になってから気づいた。 ただその時は、見えない彼女の涙を、ただ拭ってやりたい一心だった。 僕はありのままの姿で君に接しているのに、君は僕らの前で仮面を貼り付けるって言うのか。 そんなのは、とても許せたことではなかった。 「前に転んだ時、大袈裟に痛がってたじゃないか、そんな、そんな風に笑わないでくれよ」 「なんで奏が泣くんだよ…」 大輝の声も少し滲んで聞こえた。 「どうにか、できないか考えようよ。もう、一人じゃないんだから。」 僕らの、誰にも言えない大きな秘密が、一つ出来上がった。 「あの時思ってたけど、なんで言ってくれなかったのかは今はわかる気がするわ」 目の前に出されたお茶に手をつけようともせず優奈がぽつりと溢す。 辛いだろうから、無理に帰らなくて良いよと談話室に案内された。 このまま一人で帰っては後追いしそうな雰囲気でも醸し出していたのだろうか。 「優奈、ちょっと寝たら?…昨日から寝てないだろ」 俺が促すと、ん、と軽い返事が返ってきたが寝る気は無さそうだ。 「私達に危害が及ばない様にしてたんだわ。きっと。私達が、足枷になっちゃってたんだわ」 「そんな事ねえだろ、やめろよ」 お前、疲れてるんだろ。と呟き、端にあった布団を掛けてやる。 「手、握ってて」 「…おう。」 「あの子、大丈夫かしら。まだ、伝えてないんでしょ」 「まだ知らせれないだろ。どうやって言うんだよ」 何をするにも八方塞がりだ。 四人で、このまま生きていけると思ったのに。 「…大丈夫なのかな」 いつもこの時間はみんなでぽこぽことLINEをしている。 ちょっと父さんの機嫌悪いから宥めてくる、と千歳が返信しなくなってからかなりの時間が経つ。 『ちょっと、千歳の返信遅くない?あの子、大丈夫よね?』 虐待の話が出てから優奈がやたらと過敏になっている。 そう思いたいが、自分も人のことを言えた義理ではないだろう。 「何もないなら、それで良いし。」 マフラーをつけ、コートを羽織り玄関に行く。 「あら、どうしたの?」 「えっと、ちょっと千歳んとこ行ってくる。ノート、間違えて千歳のとこに入ってたみたいで」 「まあ、そうなの。暗いし寒いから早く帰ってきなさいね」 「うん、ありがとう母さん」 少しの罪悪感と共に外へ出る。 「奏、今考えたらアイツのこと好きだったんじゃねえの」 私が眠れないのを察して大輝がなんでもない様な口調で話し出す。 「そんなわけないじゃない…って言いたいけど、そうなんでしょうね。人一倍手のかかる子だからと思ってたけど、あの目は惚れてる目だったわ」 ふふ、と笑いが漏れる。 握った手が一気に力が抜けるのがわかる。 「やっと力抜けたな」 「大輝もね。ごめん、私の方がこういう時強いと思ってたのに」 「いや、今役に立てて嬉しいよ。俺も正直、家にいるとおかしくなりそうだし。」 「…」 「えっ…寝てる…」 「ここら辺だっけ…」 きょろきょろと探していると、男の怒号が聞こえる。 「っ!」 足が自然と速くなる。 夜道に響く声は、間違いない。 千歳の、父親の声だ。 「千歳っ」 いつもは動かない足が、この時ばかりはよく動いた。 一軒家の玄関は当たり前だが鍵が閉まっていた。 ベランダの方に回ると、換気のためか網戸だけしか閉まっていなかった。 「っ千歳、千歳」 千歳の妹の、ただ事ではない悲鳴が台所の方から聞こえる。 足がもつれる。 千歳の父が、包丁を握って二人の前に立ちはだかっている。 「お前らが、お前らさえいなければ」 ぶつぶつとつぶやく千歳の父親は明らかに正常じゃない。 「っお父さん、やめて、お願い」 妹を抱きしめて祈る様に懇願する千歳の姿に、もう冷静じゃいられなかった。 千歳の方に伸びていく包丁が、スローモーションの様に見えた。 この時ばかりは、足が動いたことに感謝しなければならない。 ああ、神様。 僕はどうなってもいいです、だから、だから。 この子だけは、どうやってもたすけてください。 彼女の父親を、力一杯突き飛ばした。 「大輝くん、起きてるかい?」 俺もうとうとしてしまっていた様だ。 「はい、どうしました?」 見た事ない人だが、学校の先生だろうか。 もしかしたらもう此処を閉める時間なのかもしれない。 折角優奈が寝たので、起こすのは忍びない。 「意識が戻ったって。君達を呼んでるらしいけど、いけそう?」 「っ行きます、待ってください」 起こさない様にそっと手を離したが無理だったらしく、優奈も起きてしまった。 「ん…?」 「意識、戻ったって。会えそうか?」 「っ、うん、いく、待って、置いてかないでね」 荷物を慌てて背負う彼女に安心させる様に肩を撫でる。 「置いてかないから安心しろ。…ほら、行けるか」 「うん」 震える手を、握る。 大丈夫、一人じゃないから。 「…奏、?」 時が、止まったみたいだった。 「うそ、嘘嘘、いや、やだ、奏、」 お父さんと、奏が重なって倒れている。 お父さんが、おかしくなって、一家心中だなんていいだして、その後に、もう無理だって思って、そしたら、奏が、 「奏、ねえ、奏」 奏をごろんと動かすと、光のない目が此方を見ていた。 「ひっ」 思わず反射的にのけぞる。 血が、一面に、もう、奏は。 腹に大きめの、私の愛用だった包丁が、グサリと、 お父さんも、頭を打ったからなのかピクリとも動かない。 「かな、ねえ、か、かなで、」 私の、せいで。 おえ、と床に吐いた後、そこからの意識がない。 ただ明確に一つわかるのは、 奏が死んだという事だ。 「千歳」 「た、大ちゃん、ゆうちゃん」 白いベットに上半身を起こしていた千歳は、今まで見ないくらいの絶望を目に浮かべていた。 「ご、ごめ、私、私っ…」 ズンズンと進んでいく俺らに何をいうか、わからなかったようで、言葉に詰まっている。 「生きてて、良かった…」 「千歳だけでも、助かって良かった…」 がばり、と抱き寄せたその体は酷く薄かった。 「っふ、う、うぇ、ん…う、ひっく、う…」 まるで泣く事を知らぬ赤子の様に静かに千歳が泣き出す。 青かった顔があかくなっていくことに、生きている、よかった、と抱きしめる力が強くなる。 「馬鹿。責めるわけないでしょ、このお馬鹿…あんたが、悪くないなんて、誰もが判ってるわよ…」 四人で、生きてきた。 死んでほしくなかった。 奏と千歳に、生きててほしかった。 二人とも、失いたくなかった。 四人で一つ。 奏も千歳も失ってしまったら、僕らは。 「これから、奏を、三人で背負っていくのよ。」 死んだけど、奏との思い出が消えたわけじゃない。 三人で、奏の分まで生きていこう。 これが、僕らの出した結論だった。 お前が、千歳を庇ったのがお前の結論だろ、奏。 なぁ、お前は、最後まで俺らの光だったよ。 「花誰が持ってたっけ?」 「私!もう飾りつけていいの?」 「飾りつけって…仏花で飾りつけなんて言わないでしょ。…奏は何にも言わないだろうけど」 優奈がゆるりと柔らかく笑う様になったのは此処最近のことだ。 彼女曰く、「奏の柔らかい笑顔、好きだったから。真似してみようかなと思っただけよ」と。 「じゃあ、火つけていい〜?」 「ん、いいよ」 末っ子気質だった千歳がなんでも率先してこなすようになったのもここ最近の事だった。 彼女曰く、「奏がいっつも計画とか立ててくれてたの、すごくありがたかったから。私も、出来る様になれればいいなと思って」と。 俺も、最近は賢くなれる様に本をたくさん読んでいる。 あいつには及ばないかもしれないが、あいつの考えていたことが少しでもわかる様になればいいなと思って。 線香が揺らぐ墓の前に三人でしゃがみ手を合わせる。 「奏、お前は俺らに助けられたとか言ってたけど、逆なんだよ」 「私達、みんな奏に助けられてたんだよ」 「あんたが、生きづらい事とか、無気力なこと、よく言ってたけど私も同じくらい、欠陥を持ってたのよ」 生きづらい少年がたまたま出会った三人ではない。 お互いに惹かれあって、足りないものを補い合う四人だった。 「ね、奏」 「かなちゃん」 「かなで」 来世こそ、四人で生きて、四人でおじいちゃんに、おばあちゃんになろうね。 「あ、あの子!」 「どれ!」 「確かに一人だな。どれ、声かけに行ってくる」 「待ってよたいちゃん」 「あの、初めまして」 目の前の子は、何故自分に声をかけられたか分からない様な顔で挨拶を返してくれた。 「は、初めまして」 「名前なんて言うの〜?」 知ってる。ずっと、呼びたかった名前だから。 「かなで。」 「私は、ちとせ!」 「優奈っていうの。」 「大輝だよ。な、これから四人で遊ばねぇ?」 「えっ、う、」 奏の手を引く。 ずっと、待ってたから。 「おせえよ、奏。」 「行こ、奏」 「気をつけなさいよ、奏。あんた鈍臭そうなんだから」 四人は、矢張り惹かれあって、また交わった。 四葉のクローバーは、また生えた。 葉を千切られようと、根から抜かれようと。 また、そこに土がある限り、四葉は咲き続ける。
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