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 僕は頭の中で聞こえるリズムに合わせて膝を人差し指で(たた)きながら、バス停のベンチに腰掛けていた。時刻、草木も眠る丑三つ時の五時間前――つまり、午後の九時だ。このバス停は遠距離専用。僕以外にも九時半発のバスを待つ客が十数人ほど近くで立ったり座ったりしている。みんな深夜の旅は億劫そうだ。無理もないけど、だからこそ僕は気分良く人差し指を使って好きなドラマーの真似をする。 笑う門には福来たる。それが僕のモットー、いや、哲学だ。  さて、夜行バスの旅に大切なのは、音楽と小説。どうせ途中のバス停でちょっとはしゃぎすぎるボーイズ・アンド・ガールズたちが乗ってくるのだろうから、寝ても寝なくても音楽は必要だ。今は頭の中でパンク・ロックのイーブル・レリジョンを再生しているけど、寝る前にはスマホにセーブしてある穏やかなクラシックのミックスにする。もちろん、他にやることがあれば、そっちを優先する。なにしろ出会いは大歓迎。それはいくらあっても損はしない。  でも、睡魔が僕を誘惑してくれるまでは読書で時間を潰す。ちゃんと旅行に合う本を持ってきた。空いている方の片手で広げているのはヘルマン・ヘッセの『知と愛』。ナチスとゴルトムントがまさに今、愛のことを語っている。こういうの僕好きなんだ。BLには密かに萌えている。ヘッセの昨品をBLと称するのは――そもそもBLが好きだなんても――誰にも言えないけどね。  ところで出会い大歓迎と言えば、向かい側の可愛い二人の女の子、チラチラって僕のことを見ている。たぶん双子だ。いや、きっと双子だ。服もアクセサリーもお揃いだし、髪の毛だってわざとらしく同じ長さにしている。  僕は視線だけで誘う。双子は、おいでよ、と言いたげににっこりする。笑うと双子の頬にエクボができる。たまらなく可愛い。  ちょっとナチスとゴルトムントはおあずけ。彼らは待ってくれる。リュックに『知と愛』を滑り込ませて、僕は向かい側のベンチに座っている双子の方に行く。二人はスタイルの良さを見せつけるように長い足を組んでいる。 「やあ」僕は歯を見せて笑顔を作る。近くから眺めると、双子は絵に描いたような美人だ。ナチュラルな化粧も上手すぎる。「君たちモデルやってるでしょう?」とからかうような口調で言う。遊び心がなければ女の子は落とせない。  二人は素直に赤面してしまう。 「そ、そうだけど」と右側の片割れが照れて、「あ、あんただってそうでしょう?」と左側が嬉しい言葉で反撃する。  僕はニヤリとする。「えっ? そう思う? じゃあさ、写真家を紹介してくれないかな? モデル・デビューはまだだから」  言うまでもなく、このセリフは電話番号を聞き出すための布石。でも読まれている。 「ふーん、そう簡単には言わないよ、番号」 「うん、うん。もうちょっと楽しませてくれないとね」  双子は自分たちが凄まじくモテることを自覚している。ちょっと上から目線。ここで二人をお姫さま扱いしたら僕の負けが確定してしまう。だから――  僕は首を捻って面白いことを考えるような振りをして、バス停で待っている他の客を素っ気なく盗み見る。そして一人で立ちながらスマホをいじっているなかなか綺麗な女の子を見つけると、今度は双子に向かって話し出す。 「実は僕ね、大事な任務があって今夜バスに乗るんだ」僕は用心深くあたりを見渡す。大げさに、演技をしているみたいに。「とても危ない仕事なんだけど――」  さっき見つけておいた彼女の方を向いて、僕は、あっ、と驚いたように目をしばたたく。双子は僕の視線を追っているけどまだ僕の意図には気づかない。なになに、演技臭いーって苦笑している。 「あの子凄く独特――」そう言って、僕はふらりと歩き出す。  えっ、と双子は少し慌てる。二人は冷たい肩を返されることに慣れていない。 「ち、ちょっと、あんたねぇ」 「ど、どんな任務なの?」  ――引っかかった。  僕は振り返って目を細める。「あれ? そんなに知りたいの?」  こくりと双子は合わせて頷く。若干悔しそうにしているけど、さっきとは裏腹な上目遣い。愛のポーカーで決定的なのは持ち札なんかじゃない。決定的なのはブラフという芸当。 「ねえ、だから任務って……お、教えて」右側が言う。  僕は面倒くさそうに頭をかく。「任務? ああ、今夜バスが走るルートの中間あたりに大きな橋があるんだけどね。その橋のことは……?」 「知ってる」左側が言う。「この国で一番横幅がある川にかかっている橋だよね?」 「うん。その橋である人と会うんだ。それが任務」 「えー、だれだれ?」 「もしかして女の人?」  僕は肩を竦めてみせる。「男だと思うけど……今夜初めて会うからわからない。もしかしたら中性的な御方かもしれない」 「へぇ、不思議な任務だね」 「でもその任務のどこが危険なの?」  双子の問いに真剣な顔で、「僕のリスクは君たち二人だよ」って答える。 「えっ?」 「どうして?」  左右対称に首をかしげる双子。伸ばした髭に指を通しながら僕は言う。「だっておかしいだろう? どうしてアトラクティブでセクシーなモデルたち二人がこんな安い夜行バスに乗るんだい? ね? おかしいよね。僕は君たちが敵の差し金じゃないかって疑っている」  双子は僕のノリに押されて、わざとらしくギクリとする。でもすぐに双子は顔を見合わせて、くすくすと笑い出す。 「被害妄想。ナルシスト。中二病」 「売れないモデルはバスにも乗るっつーの」  僕はお手上げと言わんばかりに両手を上げる。「まあでも少しは笑ってくれたね。じゃあこれからは大人同士のちゃんとした会話をしようか」  すると双子は一瞬キョトンとするけど、今度は腹を押さえて笑い出す。 「ああ、やられた。三流スパイだと演技、あんた上手すぎ」 「そう、そう。ちょっとの間、ホントに頭おかしいんじゃないかって思ってた」  双子は下唇を噛んで僕のことを見つめる。エクボが目立つ、瓜二つの可愛い表情。 「君たちも演技上手いよ」僕は舌をベロッと突き出す。 「えー、なになにー?」 「演技なんてしてないよ」  僕は一拍置いて、双子と目を合わせてから、「売れないモデルの演技」とウインクする。「二人が表紙に載っている週刊誌を昨日駅で見たよ」 「ひえっ」双子は同時に息を呑む。 「あちゃー、バレちゃったかー。まあ、売れてないわけではない」 「でも、あれって結構マイナーな週刊誌なんだよね」  僕は人差し指を口に当てて、「大丈夫。秘密にしておくよ」と二人に言う。だったらあなたの任務のことも口外しないよ、と双子も答えてくれる。『あんた』が『あなた』に変わったところに感激してしまう。  その後、僕たちはバスが到着するまでの時間をスモール・トークで潰す。どうして旅をしているのだとか、仕事のことだとか。日常的なことを。それ全てに僕は予め用意しておいた嘘で答えた。双子に言ったことで真実だったのは任務のことだけぐらい。  バスがちょうど九時半に停留所に走り込むと、立ったり座ってたりして待っていた客は一斉に拍手をした。誰かがブラボーと叫びそうなほど喝采した拍手だった。双子たちも思いっきり手を叩いていた。この国に来てから間もない僕は少し面食らった。このような習慣があるとは知らなかったから。でも他の客たちに習って手を激しく合わせる。口笛も吹いてみる。双子たちはきゃっきゃっと、無邪気に笑う。  バスの運転手さんに携帯にセーブした電子チケットをスキャンしてもらって、バスに乗り込もうとすると、ふと両後ろから双子の顔が近づいてきて、二人は左右から僕の耳に囁く。 「ねえ、明日あっちについたらさ――」 「三人でデートしてみない?」  打ち合わせたようにシンクロしたセリフに僕はほんの少しだけ狼狽える。振り返ると、自分たちが今なにを提案したのかよくわかっている、いたずら好きそうな双子の挑戦的な顔が飛び込んでくる。 「いいよ」と僕も負けずに答える。  運転手さんに促されてバスに乗り込む。  そう、夜行バスの旅に大切なのは、音楽と小説。出会いはその上に乗ったチェリー。それもとても甘くて艶やかな。しかも今回のはヘタで絡まり合っちゃっている二つの粒。  でも、夜行バスの旅に欠かせないのは――  一瞬、好青年の仮面が剥がれ落ち、僕の顔は苦痛と怒りに歪む。偉大なる主君を冒涜するパンクとその喧騒音楽。ホモセクシャルの薄汚い妄想を描くヘッセ。近親相姦と乱交の重罪を平気で犯すあの淫猥な娼婦たち。僕はその全てを激しく憎む。だからこれは聖戦なのだ。道から外れた邪悪な輩を社会から掃滅して、この世を主君のために清める。偉大なる主君のため――そして、散々輪姦された祖国のために。  顔を撫でて、好青年の仮面を憎悪に満ちた顔に再び満遍なく貼りつける。口元に宿していた見えのいい微笑が戻ってくる。  ああ、そう。夜行バスの旅に欠かせないのは、リュックに詰めた爆弾さ。
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