focus - 004 諦観 feat.楓

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 私は、彼という人を正しく理解している。  毎日着るものを選ぶのが難しい。そんな季節がやってきた。  私はまだ手袋をするほどでもない、マフラーをするほどでもない気温の中、落ちてゆく陽を見て寒くなる前に帰ろうと、少し足を速める。  アパートの二階まで階段で上がって、鍵を取り出してガチャリと開け、中に入る。 「ただいまー」  電気をつけ、声をかけるも返事がない。  時刻は十九時。誰も居ない室内に、同居人は残業かなあなんて考えながら、中身の入ったエコバッグを持ってリビングに移動する。  リビングの隅には布団一式があって、そこが私の寝床だ。  第一志望の大学生に合格して上京するとなったとき、家探しをしていて、家賃の高さに驚愕した。  そのうえ娘の一人暮らしということで心配性が爆発していた母は、妙案を思いついたと言ってその場で私の了承を取らず、急に電話をかけだしていた。  母が名前を呼ぶ声で相手が誰なのかわかりギョッとして、「ちょっと」と電話を奪おうとしたけれど、母は近年見ない機敏さで私の妨害を交わし続け、談笑の後、あろうことか相手方の了承が取れたようだった。  十歳年上の従弟の正司くんは、1DK、風呂トイレ別の部屋に私を快く迎え入れ、事も無げに言ったのだ。 「俺だって、楓が一人暮らしなんて心配だよ。もっと早く言ってくれればよかったのに」  そう、兄の顔で頭を撫でて。 (……わかってるけどさー)  十歳も年上で、私のオムツを変えたことまである人だ。私を女として意識することなんてないと、理屈ではわかっている。  でも、だけど、だからって。 (ちゃんとしっかり成長したんですけど……)  自分の胸をわしっと掴んでみる。そこにはふっくらとした山が二つ、ちゃんとある。大きくはないけれど、小さくはない。普通だ。 (男の人って、胸があれば女の子って認識するもんだと思ってたなー)  ちょっとお風呂上りに軽装になっていたり、寝転がってお腹が出ていたり、そういう時、何かしら苦言が飛んでくるけれど、それも赤面するようなものではない。  風邪ひくから、だらしないから、とそんな理由を頭に付けて、重装備――というほどでもないけれど――を言いつけてくる。  長年一緒に暮らして扱いを心得ている父よりはるかに口うるさい。  女子大生の生足にだって反応しない。  凄いのだ。正司くんは。名前の字面そのままに成長した人だ。  ガチャッとリビングのドアが開く音がして、それと共に「ただいまー」と声がする。返事をしようとした私と目が合って、正司くんは少しだけ目を丸くした。目線は自分の胸をつかんでいる私の手に向いている。そして小さくため息をついて言うのだ。 「やめなさい。まったく」  「楓はなんでそう、よくわからない事するかなー」などとボヤキながら、ネクタイを外し、自分の部屋に着替えに行った。  悪かったな! と思いながら、悪いことをしたという思いは微塵もない。心の中では漫画のように舌を出している。 「今日お鍋にしようと思うんだけど」 「お、いいな。白菜」 「なんで白菜単体? 大根、にんじん、えのき、椎茸、あと白身魚と、つみれも入れようと思うんだけど」 「美味そう。そういえば、つくねとつみれってどう違うんだ?」 「つみれは丸めないんだよ」 「へえ」  持って帰ってきたエコバッグの中から、ガサガサと中身を取り出す。  二人暮らしで時々外食もすることもある。近所にスーパーがあるから、食材を無駄にしないように、こまめに買い物に行く方だ。  ふんふんと鼻歌を歌いながら、材料をトントンと切る。  鍋は材料が多いけれど、私は割と食材を切るのが好きだ。無心でトントン。すぐに目の前に結果が現れるのが気持ちいい。  まずは火が通りにくいもの。大根、ニンジン、白菜の芯のところ。きのこ。それから、白身魚は勝手にほぐれるので切り身を丸ごと入れる。  火は弱火。蓋をして、白菜の芯が透き通っててきたら、美味しそうなだしの香り。  みじん切りにしたネギと鶏ミンチを合わせ、水切りした木綿豆腐でかさましをする。塩コショウで薄味を付ければ、シンプルなつみれの完成だ。  これが、市販の鶏だしとものすっごく合うのだ。 「いい匂いするな」 「でしょ。市販の鍋つゆだけどね」 「大学行ってバイトもして、簡単にできるならそれに越したことないだろ」
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