永遠のふたり

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永遠のふたり

腕の中に、好きな人がいる。それがどれだけ幸せな事なのかを、やっと僕は知った。 初めて女の子と抱き合った翌朝、と言っても昼近くに、僕は電話で叩き起こされた。僕はベッドで奈有と裸でくっついて、深い寝息を立てて眠っていたところだった。 「おい!碧!お前の父さんと母さんが……!」 有輝おじさんの言っていることがよく分からない。 「おじさん、もう一度言ってください」 「お前の父さんと母さんが、事故に遭った!」 「生きてるんですか⁈」 「分からない。山道で崖から落ちたらしい。すぐに来い、とにかく病院に向かうぞ!」 僕は思いもよらない知らせに、体中の血が冷たくなって震えた。 ”……罰が当たったんだ!!” 一番最初に思ったのはこれだった。 神社で働きたいくせに、神社の神主の娘を……有輝おじさんの娘の奈有を自分の家に泊まらせて、僕は抱いた。お互いの親に、つき合っていることさえ言っていなかった。 「碧?どうしたの……?」 「……父さんと母さんが、事故に遭った……」 「うそ……!」 僕たちは恐ろしさのあまり抱きしめ合ったが、震えながらでも着替えないといけなかった。 「奈有、しばらく居ていいよ。鍵掛けといて」 「いや、私も行く!碧を一人にできない!」 「バレるだろ!」 「そんなの、おじさんとおばさんが生きてるならどうでもいいよ!」 僕らは二人で、有輝おじさんのいる神社に走った。 「おじさん!」 僕の声を聞いて振り向いたおじさんの表情は蒼白だった。 「碧……どうして奈有がいる⁈ 奈有、昨日はマキちゃんの家に泊まったんじゃないのか!」 全てを察した有輝おじさんの怒号が響いた。 「うるさいよ有輝!昔ならもう元服終わってる歳の人間にゴチャゴチャ言ってるんじゃないわよ!」 有紀おばさんが横から叫んだ。 「姉貴!黙れ!今は奈良時代でも平安時代でもない!令和だぞ!」 「義務教育が終わってる意味を考えてみなさいよ!」 「うるさい!来い、奈有!」 おじさんは奈有の腕を掴んで引っ張った。 「痛いよお父さん!」 「許さんぞ二人とも……!」 血走った眼で有輝おじさんは僕と奈有を睨んだ。 「お父さん、私が押し掛けたの!碧は悪くない!」 「違う!僕が来いって言いました!」 「二人とも黙れ!親に隠れて何やってるんだ!」 おじさんの手が、奈有の頬を叩こうと振りかぶった時、社務所の電話が大きく鳴り響いた。 有紀おばさんが電話に出る。 「……はい、はい……わかりました。はい。今から出ますので、二時間はかかると思います。はい……」 おばさんが、電話を切って言った。 「有輝、こんなことでどうこう言ってる場合じゃないでしょ……」 「何の連絡だったんだよ、姉貴」 いつも笑顔の有紀おばさんが、顔をくしゃくしゃにして涙を流した。 「――蒼月君も、若菜ちゃんも、助からなかったって……」 ああ、神様。八百万の神様方。 僕はこんな姿で生まれてきたけれど、一度だって恨まずに生きて来られたのは、父さんと母さんのおかげだったんです。 そんなに、悪いことでしたか? 好きな人と抱き合うのは、間違っていましたか? 僕は本当に、奈有のことが好きだから、そうしたのに。 父さんと母さんは、愛し合うのが好きな人たちだったから。女の子を好きになったら、そうするのが当たり前だと思ってたんだ……。 俺はもう、奈有と碧を叱る気力も無かった。 「何だよそれ、嘘だろ?嘘だろう姉貴!」 「とにかく、行こう、有輝。奈有も来る?」 奈有はいつの間にか、碧に寄り添っていて、姉の言葉に、黙ってうなずいた。 それから、どうやって運転したのかあまり覚えていない。 搬送された病院に着き、二人の遺体を見ることになった。 「大事故でしたが、お二人の身体に外傷はあまり見られませんでした。良かったと言っては何ですが、損傷が酷いとご遺体を見せられない場合も多いので……」 二人とも顔にかすり傷が少しあったが、きれいな顔をしていて、恐怖に歪んだ表情もしていなかった。 「二人でいたから、怖くなかったのね……」 姉が、二人の身体をそっと擦りながら、口の中で祝詞をあげると、涙を流しながらうなずいていた。 「帰ろうね、蒼月君、若菜ちゃん……」 碧と奈有は泣きじゃくるばかりだった。ずっと、奈有が碧の服の袖を握って離さなかった。まるで袖を離したら、碧が消えてしまうかのように。 「もし俺に何かあったら、家の金庫の中を見てくれ」 いつだかに蒼月から渡されていた金庫の暗証番号。俺は碧と姉に立ち会ってもらい、その金庫を開けた。 いくつかの封筒を開けた。その一つが、蒼月が残した遺言だった。 ”若菜、有紀さん、有輝、これを見る時は僕に何かあった時だと思う。どうか、碧を頼みます――” という文章から始まったその遺言は、自分がいなくなってからの一切合切の手続きをどうするのかを纏めてあるものだった。 「こんなもの、書いて現実にしやがって……」 俺は悔しくて仕方なかった。やっと碧の手が離れて、夫婦二人で初めて旅行に行ったというのに、亡骸で帰って来るなんて。 最後の一枚には、まるで事故を予見したような文章が書いてあった。この一枚だけ紙の質が違い、新しいもののようだった。 ”もし、僕と若菜が一緒に死んでしまった時は、有紀さんと有輝に碧を託します。生活費は……” 事細かに碧が一人になってからどうしてほしいかを書いてある。 ”――もし、叶うなら、碧が奈有ちゃんと交際することを許してもらえると嬉しい。好きな人を大切にするように育ててきたつもりだ” 何でこんなことが書いてあるんだ。 俺は最後まで読んだ後、日付を確認した。 その日付は、二人が旅行に出る前日の日付だった。 「どういうことだ、蒼月!」 俺は大声が出るのを抑えきれなかった。 「有輝?どうしたの?」 俺は一言だけ言って、姉に何枚も書かれた遺言書の、最後の一枚を渡した。 「日付見てみろよ、姉貴」 めったに涙など流さない姉が、肩をわなわなと震わせて、泣き続けた。 どういうことなんだ。 蒼月、最初からそのつもりだったのか? 嘘だろ? 準備周到なお前が、もしもを想定して書いただけだよな? ただの酷い偶然が重なった事故だって言ってくれよ。 「おじさんおばさん、どうしたの?」 碧が時間が掛かりそうだからとお茶と和菓子を持ってきた。 その和菓子は、家庭用に蒼月が作ったもので、いつも冷凍庫に常備してあるものだという。 温かく蒸された饅頭のやさしい餡の味が、もう本当に蒼月も若菜ちゃんもいないのだと、無常に突き付けてきた。 「碧、葬式の喪主はお前だ。ちゃんと俺らがサポートするから、挨拶はしっかりやり通せ。少し早いが、お前はもう、大人になれ」 碧は口を一文字に結んで、はい、と言った。 葬式の段取りは俺と姉がやったが、碧は、喪主を立派にやり遂げた。 二人を知る人たちが次々と弔問に訪れた。 皆泣き崩れ、仲の良いご夫婦だったから、最期まで一緒だったのですね、と多くの人が口々に言った。 不思議なことがあるんです、と碧が話をしてきた。 「父さんと母さんの写真に、和菓子を供えるんですけど、悪くならないんです。カビ一つ生えない」 「生菓子でもか?」 「はい、防腐剤とか入れないので、ほっとくとすぐにダメになるのに」 横から姉が首を突っ込んで来た。 「碧のことが心配で、父さんも母さんもすぐ側にいるのよ、きっと。神道では亡くなった人は神様になるからね」 蒼月が、店を継がせるなら彼だと太鼓判を押していた、和菓子職人の道方君に和菓子屋の経営移譲が終わったのは、秋から春になった頃だった。 道方君の落ち込みようは見ていられない程で、僕では到底無理です、AO-TSUKIの看板を背負うには未熟すぎますと、何度も断って来た。 「でも、君しか蒼月のあの味を継承している職人はいないんだろう?蒼月はそう言ってたぞ。蒼月がいない状態で店をやってみて、本当に無理かどうか考えてみてくれないか。君が継がない場合は、店を畳めと遺言には書いてあるから」 数か月経って、やっと返事が来た。 「……やはりこの店を絶えさせるわけにはいきません。精一杯頑張ります」 道方君は俺と碧に頭を下げた。 「道方さん、ありがとうございます。父も喜んでいると思います。嬉しいです、同じ味の和菓子を食べるたびに、父さんと母さんを思い出せるから」 道方君にそう言って、碧は涙を拭いた。 碧は高三、奈有は高二になっていた。 姉と、碧と奈有がつき合うことについて何度も議論を重ねた。 「つき合って、別れたらどうする。十代の恋愛なんてあやふやなもんだろう」 「……そんなに奈有が心配なら、もう結婚させたらいいじゃない。うちの事情も知ってて、覚悟がないならつき合わないでしょ?そもそも。それに碧は神職に就きたいって言ってるんだし」 「はあ⁈ まだ十代だぞ!それに、葬式していきなり結婚式なんてできないぞ!うちは神社やってるの忘れてないか姉貴?」 「すぐとは言ってないでしょ?でも奈有はもう十七よ。碧だってもうすぐ十八になる。法律上は、可能よ」 「蒼月と若菜ちゃんをけしかけたのも姉さんだったよな」 「人聞きの悪いこと言わないで!あの二人はね、特別なの。有輝だって解ってたでしょう?」 夜、俺は寝室で妻の遺影を見つめた。奈有を産んだ後、すぐに癌が発覚した妻は、オブラートが水に溶けてしまうみたいに俺の前からいなくなった。 なあ、こういう時お前ならどうする? 自分が思っていたよりも遥かに早く娘を手放さないといけないとはな。 蒼月、どうしてこんなに早く逝っちまったんだよ。 俺たち、まだ話してないことだって、たくさんあっただろ……?
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