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⑩
社長室をノックすると、ドア越しで社長の「はーい」という声が聞こえる。
「失礼します」
俺はドアを開けると、高そうな黒い椅子から立ち上がった社長が「やぁ、甲斐くん」と言って、後ろに立つ叶さんを見て「こんばんは」と言った。
「座って」
俺はペコリと頭を下げると、社長が座ったのを確認して社長の前に座る。隣に叶さんが座った。叶さんは緊張した様子で、顔を強張らせている。その緊張が伝わったのか、社長は叶さんを見ると、ぷっと吹き出し、それから「そんな緊張しなくても大丈夫だよ」と優しい声で言った。
「それで、デビューさせたいって子は、その子?」
「はい」
「甲斐くんが見つけてくる子は、全員強者ばっかりだからね~」
「そんなこと無いですよ。僕は見つけただけで、本人が努力して強者に成りあがったんです」
「……そういう捉え方もあるね」
社長は穏やかな声で言うと、ニコニコしながら叶さんを見る。叶さんが社長と目が合うと、目を微かに見開き、それから固い笑みを浮かべた。
「名前は?」
「叶詩乃と言います」
「いい名前だね」
「ありがとうございます……」
叶さんは息遣いから緊張が伝わりながらも、何とか声を発する。手は小刻みに震えているし、大丈夫かと心配になるが、でも会話が出来るぐらいなら、きっと大丈夫だろう。これから先、テレビにも出るとなると、その緊張は課題点になるだろう。
「それで、甲斐くん」
「はい」
「この子をデビューさせたいんだよね?」
「はい」
俺は強く頷くと、社長が「いいんじゃない?」と言った。やっぱりか、と俺は心の中で頷くと、隣に座っている叶さんがパッと笑顔になった。
「声も澄んでるし、雰囲気も良いし、歌ったら絶対に素敵なのが伝わってきたよ。ただちょっと緊張しすぎな所があるけど。でもそれ以外は全部良い感じ」
「本当ですか?」
「うん」
社長はニコニコしながら改めて叶さんに向き直ると、「叶詩乃さんと言ったね?」と聞く。叶さんは頷くと、「ようこそ、VMEへ」と言って、手を伸ばす。叶さんは本当に嬉しそうな顔を浮かべると、立ち上がって社長の手を握り、握手を交わす。
「ありがとうございます!」
「でも」
叶さんが社長から手を離すと、ゆっくりと上げていた腰を下ろす。社長が俺と叶さんを交互に見た。
「メジャーデビューはまださせない」
そう来るだろうなと思っていただ、やはりそうか。有馬たちの時もそうだった。
隣で叶さんはぽかーんとした表情を浮かべると、社長がけらけら笑った。
「本当はね、メジャーデビューでもいいかな? って思ったんだけどね。だって甲斐くんが見つけてきたんだもん。でも、急いでデビューさせるよりは長く愛されるアーティストに育てたいなぁ、って思って」
その方針には俺も賛成だった。俺は「そうですね」と言うと、社長が「お、分かってくれる?」と嬉しそうに言った。
「あの……」
隣に座っている叶さんは未だに何が起こっているのかよく分からないといった表情を浮かべている。
「メジャーデビューって、何ですか? デビューと何か違うんですか?」
俺は「は?」と言いそうになる口を閉じると、社長が目を丸くして、それからまたけらけら笑った。どうやらツボに入ったようで、しばらく笑っている。その様子を叶さんがきょとんとした顔で眺めていた。
「面白いね」
「え?」
「叶さん」
俺は彼女を呼ぶと、叶さんが「私、何か変なこと言いましたか?」と焦ったように言う。歌手になりたいと言っているのに、メジャーデビューが何かが分からないというのは変だ。俺は「まぁ」と苦笑を浮かべながら言うと、社長が未だにけらけら笑っていた。
「メジャーデビューっていうのは、メジャーレーベルからデビューすることだ」
「レーベル?」
「聞いたことあると思うけど、株式会社ヴォックス・ミュージックレーベルズみたいに、所属アーティストの音源を発売して、売り上げを得ることを目的とした組織のことだよ。ちなみにこのレーベルはうちのね」
「なる、ほど……」
言い方は悪かったかもしれないが、事実ではある。俺は「逆に」と言葉を続けた。
「今回、叶さんが始めるのはインディーズデビュー」
「インディーズデビュー?」
「インディーズレーベルからデビューすることだよ」
「メジャーとインディーズって何が違うんですか?」
「それは僕から説明しよう」
すっかり笑いを抑えた社長が穏やかな声で言うと、叶さんが社長に向きなおる。
「メジャーデビューっていうのは、うちの株式会社ヴォックス・ミュージックレーベルズみたいに日本レコード協会に正会員として登録されているレコード会社からデビューすること。逆に、インディーズデビューっていうのは、中小企業のレーベル会社からデビューすることだよ」
「はぁ……」
「基本的に目立った違いは無いけど、強いて言うなら、メジャーの方がプロモーション力とか、後は流通能力が高いかな」
「なるほど……」
まだいまいちよく分かっていないといった表情をするも、多少なりとも理解はしたそうだ。これについてはまた後で、説明をするとしよう。
「レーベルはそうだなぁ。でも付き合いがあるLatestさんかな」
「Latest……」
「有馬くんもMinamiちゃんも、モネくんにsoraくんも、インディーズ時代はLatestさんから歌を出してたんだよ」
「へぇ……」
叶さんが感心したように言うと、「じゃ、そういうことだから。詳しい事は、甲斐くん進めちゃって」と暢気な声で言う。俺は「ありがとうございます」ともう一度お礼を言うと、席を立った。
やることがいっぱいだ。
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