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④
楽屋に入ると、詩乃がさらに顔を強張らせる。それを見て、有馬がまた笑った。
「緊張しすぎだよ」
けらけら笑う有馬に詩乃がまた頬を赤らめると、苦笑いを浮かべる。まぁ、無理もないだろう。数日前までは芸能界とは無縁だった人間が、今はあの東雲有馬の仕事についてきて、自分もまだ仮状態ながらもインディーズデビューを控えているのだから。俺がもし詩乃と同じ状態に立っていたら、同じような感じになっていたはずだ。
有馬が椅子に座ると、「ほら、詩乃ちゃんも座って」と言って詩乃が渋々といった様子で座る。すると、ポケットが突然震え、俺はスマホを取り出すと、1件のメッセージが入っていた。「志賀良太」という名前を目にして、俺は思っていたことが現実になったと速やかに理解する。
『soraが叶さんに会いたがっています』
——―ほら、やっぱり。
俺はちらりと詩乃を見ると、詩乃は有馬がどうにか緊張を解そうと会話をしている所だった。それからスマホの画面に目を落とすと、葛藤する。
soraに会わせるべきか、否か。
個人的にはsoraとは会わせたい。soraは変わった奴だし、詩乃とそう年齢も離れていないから、いい刺激を与えると思う。
だが、会わせてしまって本当にいいのかとも思う。
soraは覆面アーティストとして活動しているし、soraの顔を知っている奴なんて俺と志賀、あとはうちの会社に務める奴らと、soraと仲が良い有馬やMinami、モネぐらいしかいない。
soraはすごく人見知りだし、だからなるべく今回のsoraの意見も尊重したいが、逆に会わせてしまって、詩乃にどんな影響を与えるのかを怖くも思っている。
ただでさえ、俺が詩乃をデビューさせるとなって、あれだけ生放送に出ることを拒否していたsoraが生放送に出ると言っているのだ。それぐらい詩乃の存在はかなりsoraにとっては大きいものになっている。soraがどんなことを言い出すかは知れたものじゃない。
soraは言ってしまえば、性格はかなりきつい。最近物事がとんとん拍子に進んで困惑している詩乃に、どんな影響を及ぼすのかが怖かった。良い影響ならいいが、もしそれが悪い影響ならば、と考えてしまう慎重な自分がいた。
「甲斐さーん」
「ん?」
俺は後ろを振り返ると、すぐ近くに有馬が立っていてぎょっとする。それからスマホの画面を隠すと、ポケットに仕舞った。
「何だ?」
「眉間に皺寄ってますよ~」
そんなに力が入っていたのか。俺はふっと力を抜くと、「怖かったです」と有馬がニコニコしながら言う。俺は「悪い」と一言謝ると、「それで?」と有馬が言ったことにぎょっとした。
「会わせるんですか?」
———画面を見たのか。
俺は溜息を吐くと、その意味が分かったのか有馬が「すみません」とニコッと笑いながら謝る。反省の色は全くもって見えない。
「迷ってる」
少し離れて俺たちの会話を聞く詩乃がきょとんとした顔で俺らを見ていた。自分の話がされているなんて思ってもいないのだろう。
「迷ってるんですか」
「ああ」
「どうして?」
「どんな影響が及ぶのかが心配だからだ」
「それはこっちに?」
「ああ」
「ふーん」
有馬はニヤニヤしながら元の席に戻ると、また「ふーん」と言う。詩乃が「どうかしたんですか?」と言って有馬を見ると、有馬が「ううんー」とだけ言った。
「直感を信じるべきですよ」
俺はその言葉に反応すると、有馬が悪い笑みを浮かべる。
「会わせてダメだったら、そこまでだったってことでしょ?」
へらへらしながら怖いことを言う有馬に俺はゾッとする。
本当に有馬は心が読めない奴だ。いったい、その心の底にはどんな感情を隠しているのだろう。果たしてそれは俺が触れてはいいことなのだろうか。
東雲有馬という仮面は一体いつになったら、外れるのだろうか。
「そうだな」
また詩乃がきょとんとした顔をして、有馬と俺の顔を交互に見る。俺は詩乃に近づくと、詩乃が「何ですか?」と恐る恐るといった口調で聞く。
「詩乃に会いたいって言ってる奴がいる」
「えっと、Latestの?」
「違う」
「車の中で甲斐さんが言ってた人ですか?」
「ああ」
俺はそう言うと、詩乃が多方向に視線を移しながら、困惑を表す。まさか本当に会うとは思っていなかったのだろう。
「俺は会わせたい。だが、決めるのは詩乃だ」
「……行きます」
詩乃は俺を真っすぐ見て言うと、俺はふっと笑う。
どうしてだろうな。俺が今まで見つけて来た奴は、皆同じ目をしている。強くて、でも脆い、矛盾した目。有馬もMinamiも、モネもsoraも全員そうだ。そして詩乃も。
詩乃は立ち上がると、俺は「ついてこい」とだけ言って楽屋のドアに手をかける。片手で志賀に返信を打ってから、有馬の「いってらっしゃーい」という声を背後に、俺たちは楽屋を後にした。
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