プロローグ

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「じゃあ、親子丼で」 「分かった」  俺はそう言われ、早歩きでレコーディング室を出る。  東雲有馬(しののめありま)。今、最も世界から注目を浴びているシンガーソングライターだ。高校2年生の時にデビューし、大学1年生の時に初めて連続ドラマ、所謂連ドラで主題歌を担当し、それが瞬く間に大ヒット。それからも次々とミリオンセラーを世に輩出し、今では動画投稿サイトに投稿したMVは毎回1億再生と、まさに「」と称されているアーティストだ。  そんな有馬のマネージャーである俺、甲斐琢磨(かいたくま)の毎日は多忙だ。  有馬は歌を出せば、音楽番組から引っ張りだこ。おまけに、顔もイケメンであるため、雑誌の撮影やインタビュー、バラエティにも呼ばれ、最近だと映画にも出演するようになっている。アーティスト・東雲有馬でもあるが、どちらかと言うと「」に近い存在になりつつある。  有馬はそのこと自体に、あまり不快感を覚えているようには見えないが、もしかしたら心のどこかでは不満を覚えているのかもしれない。  有馬は昔から嘘が上手で、感情を隠すことも上手だったから、何を考えているのかが分からない奴なのだ。だから、それが演技が上手いという評判に繋がったのだろう。映画監督や共演した役者からも絶賛されていた。  俺は近くのコンビニに入ると、親子丼とお茶を2本、そして俺の昼食用の鮭と梅のおにぎりを手に取ると、レジに持っていく。 「いらっしゃいませー」  その声に、俺はドキリとした。  俺は財布から金を出そうとする手を止め、顔を上げる。高校生ぐらいの少女が、慣れた手つきで商品についているバーコードを読み込んでいた。 「お弁当は温めますか?」 「……」  何て澄んだ声なんだろう。ガラスのように澄んだ声色を持っている。  よく声が澄んでいると言われ、話題になるアーティストがいるが、そんなアーティストよりも、全然声が澄んでいる。しかも声の高さも絶妙で、聞いていて心地が良い。まさに「」に近い。 「お客様……?」 「え?」  彼女が俺を覗くように見ると、「お弁当は温めますか?」と聞いてくる。俺は「親子丼だけ……」と言うと、彼女がニコッと笑って、後ろにある電子レンジに親子丼を入れた。 「温かいものは袋別にしますか?」 「あ、お願いします」 「それではお会計変わって836円です」 「あ、はい……」  俺は財布から代金を出すと、「丁度お預かりいたします」と言って、レジに金を入れる。丁度電子レンジが鳴り、親子丼を取り出すと、素早く袋に入れ、「お箸はお付けしますか?」と聞かれた。俺はそれにも「はい」と答えると、彼女が箸を入れる。「お待たせ致しました」と言って2枚の袋を俺の方へ出すと、レシートを切り、渡した。俺はそれを受け取ると、ちらりと彼女の名札を確認してから、背を向けた。 「ありがとうございましたー」  彼女が元気よく俺にそう言い、俺はコンビニを後にした。  「叶詩乃(かのうしの)」。彼女の名前が頭の中をぐるぐる周り、頭から離れない。俺は急いでレコーディング室へと戻りながらも、ずっと彼女のことを考えていた。 *** 「甲斐さん、どうかしたんですか?」 「え?」  レコーディングが終わり、エレベーターが来るのを待っていると、有馬が俺を不思議そうに見る。突然話しかけられたから、思わず気の抜けた返事をしてしまった。有馬の話を。 「どうかしたんですか?」 「何で?」 「さっきからぼーっとしてますよ?」  俺はその言葉に息を呑むと、「まじで?」と言う。不思議そうな顔で有馬が頷くと、心の中で仕事中なのに何してるんだと自分を罵った。しかも今日は有馬の新曲のレコーディングなのに。大事な日なのに。いくら終わったからと言って、(たる)んでいる。 「ごめん」 「何かあったんですか?」 「え?」 「だって、甲斐さんが仕事中に、しかもレコーディングの日にぼーっとするなんて、今までじゃないですか。まさか、彼女さん?」 「彼女はいないよ。最近別れた」 「え、そうなんですか!?」 「仕事と私、どっちが大事なの? って聞かれたから、仕事って答えたらビンタされて、出ていった」 「あー」  有馬は「それは、甲斐さんが悪いです」と言うと、俺は眉に皺を作り、意味が分からないといった表情をする。 「俺が悪いの?」 「はい。完全に甲斐さんが悪いです」  俺は首を傾げると、「そこは彼女さんだって言わないと」と諭される。事実を言ったまでなんだが。嘘を吐いてまで、彼女を選んでも、と心の中でモヤモヤ思いながら、俺は「そうか……」と吐息をするように言った。 「で、何でぼーっとしてたんですか? お疲れですか?」 「いや、疲れては無い。レコーディングの日に限って、疲れは持ち込まないし」 「あはは、さすが甲斐さん。真面目ですねぇ」  暢気な声で有馬が言うと、「それで?」と俺に聞いてくる。俺はさっきの出来事を思い出しながら、やって来たエレベーターに乗ると、1階のボタンを押した。 「ちょっとに会って」 「気になる子ですか?」  有馬が驚いた顔で俺を見ると、「それは恋愛で?」と聞かれる。 「で」  俺ははっきりと言うと、有馬がさっきよりも驚いた顔で俺を見ると、すぐに満面の笑みになった。
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