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 soraの楽屋の前まで来ると、俺は右拳でノックする。すると「はーい」という声が聞こえ、志賀がドアを開けた。志賀が「どうぞ」と言って、俺たちは「失礼します」と言うと中に入る。中には椅子に座って雑誌を読むsoraがいた。  soraはちらりと俺と詩乃に視線を移すと、雑誌を閉じて、テーブルの上に置く。それから立ち上がって俺の近くまでやって来た。 「お久しぶりです、甲斐さん」 「久しぶり」  するとsoraが詩乃に視線を移し、少し顔を強張らせるsoraが恐る恐るといった様子で前に立つ。なかなか見られない光景だ。  詩乃は会釈をすると、「初めまして」と言った。無論、誰だかは分かっていない。 「初めまして」  soraはそう言って右手を前に出すと、握手を求める。その行為に俺は新鮮味を感じた。今まで誰かにsoraの方から話しかけたことも、握手を求めたことも。しかも初対面の相手なのにもかかわらずだ。  俺は遠くで2人を見守る志賀の隣に行くと、志賀が「さっきぶりです」と明るい声で言う。それから俺が返事を言う前に「俺、感動してます」と言った。 「……君が叶詩乃さん?」 「はい……えっと」 「……まぁ、ピンと来ないよね。初めまして……soraと言います」  soraが名乗ると、その瞬間、詩乃が数回瞬きし、それから「ええ!?」と大声で叫んだ。俺は「声が大きい」と言うと、詩乃が「すみません……」と謝る。志賀が「楽しい子ですね」と褒め言葉なのかけなしているのか分からない台詞を言うと、俺は「まぁ」と相槌を打った。  soraと詩乃が手を離すと、詩乃の今の気持ちが顔に現れる。緊張、というのが正しい気がする。 「えっと、そのsoraさんが私に会いたいっていう解釈でいいんでしょうか……?」 「……さん付けしなくていいよ。俺、高3だし」 「高3!?」  また大きな声を上げると、すぐにハッとなり口を抑える。俺は溜息を吐くと、志賀がまた「いいリアクションですね~」とニヤニヤしながら言った。 「私、高1です」 「ああ、じゃあ年齢あんま変わらないね。……じゃあため口にしよう。敬語は疲れる」 「わ、分かった……?」 「何で疑問形?」 「な、なんとなく……」  soraが「座って」と言って椅子の方へと歩いていく。sora自らがこれほども喋るなんて、本当に珍しかった。志賀も驚いているようだ。  soraは椅子に座ると、早速詩乃のことを凝視した。それはまさに「真剣」という雰囲気に近い。 「……それで、インディーズデビュー決まったんだって?」 「う、うん」  その雰囲気に詩乃も察したのか、顔を強張らせる。soraはじっと詩乃を見て、それから椅子の背もたれに体重を預けた。長い前髪が、さらりと靡く。 「Latest?」 「うん」 「……もう矢島さんには会ったの? 後、目黒さんにも」 「矢島さん?」 「Latestの社長」 「今日会う予定」 「目黒さんは?」 「まだ」 「ふーん」  それらかsoraが俺の方に視線を向けた。 「有馬くんだけで忙しいのに、大変ですね」  同情しているのか、「大丈夫ですか?」とsoraが心配した表情を見せる。俺は「ああ」と言うと、「そうですか」とsoraが言った。そしてまた詩乃に視線を移すと、「……甲斐さん頑張り屋だから、あまり迷惑かけないでね」と言う。その言葉に詩乃はちらりと俺を見て、それから「はい!」と強く言った。 「で、詩乃は弾けるの?」 「ピアノ?」 「うん」 「弾けない、けど」  だろうな、と俺は詩乃の手を見て思う。詩乃と手は凄く綺麗な形をしているし、傷一つない。爪も綺麗な形をしている。だが、ピアノを弾いている手とは少し違った。  ピアノを弾いていると、何となくだが手の関節の動きや、手の形でピアノを弾いていることが分かる。だがその特徴が詩乃の手には見られない。 「じゃあ?」 「ううん」  soraが顔を曇らせると、俺を一瞬見てから、また詩乃を見る。困惑の様子が窺えた。 「……何か?」 「しない」  きょとんとした顔で詩乃が言うと、soraが目を見開き、それから俺をまたちらりと見た。soraが言いたいことは質問でよく分かった。 「……じゃあどうやってするの?」  その言葉を言われた瞬間、詩乃が目を瞬かせ、それから「え?」と言う。soraがもう一度言うと、詩乃が首を傾げた。 「作曲?」 「うん、しないの?」 「えっと……」  詩乃が多方向に視線を移すと、最終的には俺に助けを求めるように視線を向ける。俺は溜息を吐くと、「sora、あんまいじめるな」と言った。その言葉に不服を感じたのか、soraがムッとした顔をする。と言っても、soraはあまり感情を表に出さない奴だし、表情もさっきとそう変わらない。だが、微妙に違う。 「俺たちアーティストは、特に一人で活動しているアーティストは自分で作詞作曲をしている率が高い。バンドとかでも、メンバー内で作詞作曲している人が増えてる。アイドルは違うけど」 「soraくんも自分で作詞作曲してるんだよね?」 「うん。それがだと思ってるから」  その言葉に詩乃がまたきょとんとすると、志賀が苦笑を浮かべて俺を見た。まるで「あらら」と言っているようだ。 「作詞作曲をしないなら、それはって俺は思ってる。楽器弾かないんでしょ? なら、どうやって作曲するの? これから練習するの? そんな素人が始めて数か月の演奏を表で出来ると思う?」  詩乃が言い返す暇もなく、soraがまくしたてると、詩乃が顔をどんどん引きつらせていく。それを見て、心底可哀想だと思ったが、これも予想していた通りの出来事だった。 「作詞は出来ても、作曲が出来ないなら、曲は完成しない。作曲家に頼むって手もあるけど、俺はそうしない。だって、そうじゃなきゃ例え歌っているのは自分でも、」  その言葉に、詩乃の影が濃くなったように思った。
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