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⑥
「お帰りー、ってあれー? 沈んでる?」
楽屋の中に入ると、雑誌を読んでいた有馬が顔を上げてへらへらしながら言う。俺はその性格に溜息を吐くと、後ろで俯く詩乃を見た。
———こっぴどく、絞られたな。
詩乃がsoraの意見によって、ノックアウトされてしまった。だが、こんな所で折れるのなら、芸能界にはいらない。それが俺の考えだ。有馬も同じことを考えている。
芸能界に入れば、あることないこと言われるのは日常茶飯事だし、アンチをする奴もいる。全員が優しい世界なんて、この世界には存在しないけど、芸能界に入れば、今よりもっと優しい人は少なくなるし、笑っているだけで平穏に過ごせるわけでもない。
「soraくんに何言われたんですか?」
小声で詩乃に聞こえないように言う有馬に俺は「いつもの」と言うと、「あちゃー」と言った。それから詩乃に近づくと、椅子に座る詩乃の隣に座る。
「詩乃ちゃ———」
「有馬くんは」
詩乃が俯きながら言うと、有馬が目を瞬かせ、それから「何?」と言う。
「有馬くんは、小さい頃から楽器弾いてた?」
「あー、まぁピアノを」
「Minamiちゃんは?」
「Minamiちゃんはギター」
「楽器弾いてないと、作曲って厳しい?」
その時、やっと顔を上げた詩乃の顔には涙は見当たらず、それ以外の感情が見えた。その顔を見た瞬間、有馬は目を見開き、俺は心の中で「へー」と呟く。
詩乃の顔には、「悔しい」という感情がはっきりと見えた。嘘を吐いているようにも見えない。大体嘘なんて吐く意味もないのだが。
「難しいねぇ」
「でも可能性は0じゃないんでしょ?」
「まぁ」
どうやらsoraに会わせて正解だったみたいだ。強くて脆い、矛盾した目の奥にはふつふつと闘心が浮かび上がっていた。
「私、soraくんのこと、絶対にぎゃふんって言わせる」
「おお」
有馬がニヤニヤしながら楽しそうに詩乃のことを見ていた。それを見て、俺は口角を上げる。
「うん、詩乃ちゃん、その意気だよ!」
「はい!」
詩乃が元気よく返事をすると、楽屋のドアがノックされる。俺はドアを開けると、黒色のTシャツにジーパンスタイルのスタッフが「東雲さん、リハーサルの時間です」と言った。俺は「分かりました」と言うと、「有馬」と言って、「準備しろ」と続けて言う。
「詩乃も」
「はい!」
有馬と詩乃が立ち上がると、俺は2人が廊下に出てから、楽屋を出る。有馬は緊張した様子もなく、今日歌う『虹』を鼻歌で歌っていた。それに感動しているのか、詩乃が目を輝かせている。緊張している様子は見られない。
***
「そう言えば、詩乃は初めてだよな、有馬が歌ってるのを生で見るの」
「はい」
隣に立つ詩乃はワクワクした様子でマイクを持つ有馬を眺めていた。辺りはまだリハーサルの為、お客さんはおらず、スタッフだけがぞろぞろと佇んでいる。
「詩乃ちゃーん!」
「Minamiちゃん!」
手をひらひらと振りながら、優雅にやって来たMinamiが詩乃にハイタッチをすると「可愛いなぁ」と呟く。どうやら、随分と仲良くなったらしい。Minamiが詩乃にすりすりと肌をすり合わせると、守屋が「Minami、メイク取れる」と注意した。それに対して「あはっ、すみません」と可愛く言うと、詩乃から離れて隣に立った。
「どう? 今日、矢島さんに会いに行くんだよね?」
「うん。有馬くんのリハーサルが終わった後に」
「頑張ってね~」
「ありがとう」
詩乃が「えへへ」と言って笑うと、一人のスタッフが「OKでーす」と大きな声で言う。辺りはしんと静まり返り、音楽が流れ始める。そしてイントロがある程度流れ終わった後で、有馬が口を開いた。
その後の出来事は言わずと知れた。辺りは有馬が声を発した瞬間、有馬の世界に惹きつけられ、詩乃やMinami、守屋に俺も有馬から目が離せなかった。
確実に前回の歌番組の収録より、精度が上がっている。
今日は生放送だからだろうか。それもあるかもしれない。でも一番の要因ではないだろう。
有馬が歌い終わった後、辺りでは盛大な拍手が起こった。それに対して有馬が笑顔で答えると、俺に向かってぶんぶんと手を振る。俺は振り返すと、それから詩乃を見た。詩乃は、有馬が歌い終わったというのに、その場で固まっていた。
隣でMinamiがくすくす笑いながら「詩乃ちゃーん?」と声を掛けているが、全くもって応答はない。
今回の有馬をこうさせたのは、詩乃の存在が大きいだろう。
叶詩乃という新人に、有馬が影響されている。soraだけじゃない。きっとMinamiも、まだ会えていないがモネもそうだろう。
叶詩乃という存在が大きく影響している。
きっとインディーズデビューしたら、さらに影響を及ぼすのだろう。人間って、本当に怖い。
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