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 続けてMinamiのリハーサルを見て、俺たちは有馬を楽屋に残してテレビ局を後にした。詩乃が何とも言い難い表情をしているのは緊張ではなく、どちらかというと有馬とMinamiの歌声に感動しているように感じ取れた。  後部座席に詩乃が座り、シートベルトをしたのを確認すると、俺は車のギアをドライブにして、アクセルを踏む。 「凄いですね、有馬くんもMinamiちゃんも」 「まぁな。あいつらは相当努力してるし」  俺はフロントガラスの外を眺めながら、目的地である株式会社Latestへと走らせると、詩乃が「私……」と呟いた。 「私はあの2人のようになれるでしょうか?」  俺はちらりとバックミラーを見て、それからまたフロントガラスに視線を戻すと「さぁ?」と言った。 「それは詩乃次第だ。それになるんじゃなくて、超える。。制限をかけると、一生超えられない」  角を曲がり、信号に捕まると、俺はブレーキを踏み、止まる。 「だ。そのチャンスを作るために、色んな努力が必要になってくる。後、目標はかなり高めに設定すべきだ」  バックミラー越しに映る詩乃の表情は少し目を見開いて、驚いた顔をしていた。俺は「何?」と言うと、詩乃がくすくす笑って「いえ」と言った。聞きたいところだったが、もう目の前にLatestの駐車場が見えているから、この話はそこで切り上げになった。  Latestの駐車場に着くと、まだ約束の時間より15分ほど前であることを確認して、「行くぞ」と言う。隣を歩く詩乃がいつもよりスッキリした表情をしていたのを俺は見逃さなかった。 *** 「いやー、甲斐くんよく来たね~」  Latestの社長である矢島さんは、穏やかで優しいというのが印象だ。あまりうちの社長と変わらない。暢気と言ってもいい気がする。 「お久しぶりです、矢島さん」 「久しぶり~」  矢島さんが「さ、座って」と言ってふかふかの黒色の革で出来たソファを指差すと、俺と詩乃が「失礼します」と言ってソファに座る。ソファに座った瞬間、矢島さんが「それで?」と言って目を輝かせて詩乃のことを見た。 「初めまして、叶詩乃と言います」 「初めまして、矢島亘輝です。Latestの社長をやっています」  そう言って、矢島さんが詩乃に名刺を渡すと、詩乃が「頂戴します」と言って名刺を受け取った。どうやら初めて名刺を貰ったらしく、目を輝かせている。名刺の貰い方については、ドラマや映画から学んだのだろう。 「それで、インディーズデビューの話だっけ?」 「はい」 「いいよ、いいよ。喜んで~。是非、うちで引き受けさせてよ」  詩乃がパッと笑顔になると、「本当ですか!?」と嬉しそうに言う。 「うん、本当~」  詩乃がその言葉を聞いてさらに口元に笑みを浮かべると、幸せそうに「んふふ」と笑い声を上げた。矢島さんがまるで娘を見るような優しい目で詩乃を見ている。 「それでは後日、目黒さんとお会いしましたら、またご連絡いたします」 「目黒くんかぁ、こりゃまた厳しい試練を課すね~」  矢島さんが苦笑を浮かべながら詩乃を見て「頑張ってね」と言うと、「はい!」と気合を入れたような声が返ってくる。この気力が目黒さんの前でも保てればいいのだけれどな。 俺はそんなことを考えながら、しばらく世間話をして社長室を出る。隣では未だに笑みが絶えない詩乃が嬉しそうにしていた。 「嬉しい?」 「はい、もちろんです!」  詩乃が元気よく言うと、「そう」と俺は静かに言って事務所を後にしようとする。その時、「甲斐くん」と俺のことを呼ぶ声が聞こえた気がして、後ろを振り向いた。 「目黒さん……」  目黒草介が俺の目の前に立っていた。  約束は別の日だったはずだが、どうして。  俺は頭の中で困惑していると、隣に立っている詩乃がきょとんとした顔で目黒さんを見ていた。目黒さんと視線が合うと、会釈をする。向こうも会釈をして「初めまして」と言って詩乃に近づいた。 「初めまして……」 「目黒草介です。叶詩乃ちゃんだよね?」 「は、はい!」  目黒草介という名前を聞いた瞬間、詩乃の顔が一気に強張り、さっきの笑顔は一切見られない。目黒さんは詩乃の声を聴いて「うん、いい声」と言うと、「さすが甲斐くんだね」と言った。口元に笑みを浮かべているが、目は笑っていない。 「もし時間があればなんだけど、約束の日にちを今からにしない?」 「ええ、大丈夫ですよ」  俺は詩乃を見ると、詩乃も「はい」と言って頷く。 「そう、じゃああっちで」  そう言って歩き出す目黒さんの後を俺たちは付いていきながら、一つの会議室に足を踏み入れた。
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