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①
「いますか?」
有馬は帽子にマスクを付けて、店内に入ると、商品を見る振りをしながら店員をじろじろと見る。俺は有馬の頭を叩くと、「見過ぎ」と注意した。今の恰好からして、不審者極まりない。
「で、どの子ですか?」
「いない」
「え、いないんですか?」
俺はこくりと頷くと、レジ前を再度確認して、彼女がいないのを確認すると、横を通って、まぁ当然だなと思いながら、車へと向かう。あれから5時間は経ってるし、帰ってしまったと考える方が妥当だ。
後ろから「見たかったなぁ」と残念そうに言う有馬が、「本当にいなかったんですか?」ともう一度聞く。俺ははっきり「いない」と言うと、「そっかー」とまた残念そうな声が聞こえた。
———会えたら、スカウトをしようと思っていたのに。
あの声は原石だ。磨けば、絶対に光る。自信しかない。
でも、出会いにはタイミングというものがある。今日はタイミングが悪かった、そう言うしかない。
俺は車の鍵を開けると、運転席に乗り込み、後部座席に有馬が乗る。
「また明日も来るんですか?」
後ろから有馬が興味津々で俺に聞くと、「当たり前だ」と俺は強く言った。
「俺も会いたかったなぁ。甲斐さん、絶対にスカウト成功させてくださいね」
「ああ」
「だって甲斐さんが目を付けるってことは、相当の子って事ですよね」
俺はそれにはノーコメントでいると、車のエンジンを付けた。ナビゲーション画面に地図が現れ、俺は「帰るぞ」と言う。
「無視しないでくださいよー。甲斐さんが今までデビューに持ってった子って、今人気な子ばかりじゃないですか。けっこう音楽業界でも、甲斐さん有名なんですよ? 知ってると思いますけど。『天才スカウトマン』って。スカウトマンじゃないけど」
くすくす笑う有馬に俺は「シートベルト付けろ」と注意すると、有馬がのそのそとシートベルトを付ける。歌っている時は、キリッとしているのに、実際の性格はおっとりマイペースで、これが同一人物だとは本当に思えない。
「俺が凄いんじゃなくて、今までスカウトした子たちがすげー努力してるんだよ」
「でも見つけたのは甲斐さんですよね?」
「……そうだけど」
俺はアクセルを踏むと、車を発進させる。
だがすぐにアクセルから足を離し、ブレーキを踏んだ。
「おわっ、ビックリしたぁ」
いきなりブレーキを踏んだせいか、車は大きく揺れ、後ろで有馬が情けない声を上げている。俺は一言詫びると、シートベルトを外して、ドアを開けた。
「え、甲斐さん!?」
そのまま一直線に彼女に向かって走っていくと、俺は「あのっ!」と言って彼女の腕を掴む。彼女が驚いた顔をして振り返ると、「え……」と小さく声を漏らした。その声もまた澄んでいる。接客用の声ではなく、地声だったことに安心した。まぁ、地声だったことはすぐに分かったのだが。
「離してください……! 警察呼びますよ」
「あ、すみません」
俺はパッと彼女の腕を離すと、彼女が「何ですか……?」と怪しげに俺を見る。俺は素早くポケットから名刺を取り出すと、「私、こういう者です」と言って、彼女に渡した。彼女は恐る恐るといった様子で名刺を受け取ると、それを見た瞬間、目を見開いて俺を見る。
「ヴォックス・ミュージックエンターテインメント……!?」
俺はこくりと頷くと、「あの!? 有馬くんに、Minamiちゃんが所属してる……?」と彼女が驚いたように言った。普通事務所名を言っても、所属アーティストの名前はスラスラ出てこない。彼女が音楽業界に興味があることは一発で分かった。
「叶詩乃さん、ですよね?」
「はい……え、何で名前……?」
「少しお時間宜しいでしょうか?」
俺はそう言うと、コンビニのイートインスペースを指さし、ニッコリと笑った。
***
「結論から言いますと、ウォックス・ミュージックエンターテインメント(VME)に入る気はありませんか?」
俺は率直に言うと、叶さんが驚いた顔をして、「え……!?」と声を上げる。
本当に澄んだ声だ。驚いても軸がぶれないでいるし、声の出し方もスムーズで突っかかりが無い。習い事で歌を習っているのだろうか。俺はそんな事を考えながら、叶さんに耳を傾ける。
「私が?」
「はい」
俺は即答すると、叶さんがさらに目を見開いて、小さく「何で……」と呟いた。
「今日の昼頃に、こちらで昼食を買いました。その時に、レジを担当されたのが叶さんです。そして、貴方の澄んだ声を聞いた瞬間、職業柄惹かれまして。今に至ります」
俺は経緯を簡潔に伝えると、叶さんが「ほー」と感嘆の声を漏らす。
「あ、甲斐さんいたー」
横から聞き慣れた声が聞こえ、俺はちらりと見ると、変装なしの有馬が車の鍵をくるくると指で回しながら、「急にいなくなったからビックリしましたよー」と言った。
「車、ちゃんと駐車しておきました」
「ありがとう、悪かった」
「別にいいですけどー、後で何か奢ってくださいね。もう、本当にビックリしたんですから」
「悪い」
すると有馬がちらっと叶さんの方を見て、すぐに笑顔になり「君が叶詩乃ちゃん?」と言って近寄った。まるで宇宙人を見た時のような、珍しいものを見た時のようなリアクションをする有馬に、さっきから言葉を失っている叶さんが口をパクパクさせている。
「有馬、せめてマスクして」
「あ、すみません」
有馬はそう言ってポケットからマスクを出すと、紐を耳に引っかける。
「東雲……有馬くん……」
「はーい」
「本物……?」
「本物の東雲有馬です」
有馬は暢気な声で言うと、叶さんが勢いよく俺を見る。
「言うのが遅くなってしまい、申し訳ございません。私、東雲有馬のマネージャーを担当しております」
そう言った瞬間、叶さんが大きな声で「ええ!?」と叫んだ。
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