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③
「いやー、本当に面白かったですねぇ。特に、あの3人」
「……そうか?」
俺は適当に有馬の話を流しながら、有馬が住んでいる高級マンションの前までやって来ると、玄関付近でブレーキを踏む。相変わらず、いつ見ても凄いマンションだ。高級であることが、雰囲気だけで分かる。
俺たちは叶さんと別れた後、近くのファミレスで夕食を済ませ、丁度有馬の家に着いたところだった。
「着いたぞ」
俺はニュートラルにすると、有馬側の扉を遠隔で開ける。有馬が「あ、本当だ」と言ってシートベルトを抜くと、荷物を持って、外に出た。
「明日は歌番組の収録が午後に1本あるから、9時に迎えに来る」
「了解でーす。それじゃあ、おやすみなさーい」
「ああ、おやすみ」
有馬が手を振りながら、扉を閉めると、俺はニュートラルからドライブにギアチェンジする。今日はこのまま直帰だから、睡眠は沢山取れる。日中に、仕事を全部終わらせたお陰だな。俺は心の中で自分を褒めると、自分の家へと向かった。
明日は会社に出勤した後、社長に叶さんについて話さないと。そんなことを考えながら、車を運転する。
どうせ、あの社長なら俺が言ったことに笑顔で頷いて「いいと思う」と言うだろうけど。あの人、俺には随分と信頼を置いているみたいだしな。俺が実は殺人犯だったらどうするんだよ。まぁ、それは無いけど。でももし仮にそうだとしたら。
俺はふーっと長くて太い息を吐くと、赤信号に従ってブレーキを踏む。
「くだらないこと考えてんなぁ……」
疲れてるんだろう。ただでさえ、今日は有馬の新曲のレコーディングの日だし。叶さんとも出会って、調子が狂うコンビニ3人組と話したせいでさらにどっと疲れが出ている。
「今日は湯舟に浸かろ……」
俺は静かに言うと、青信号になったのを確認して、アクセルを踏んだ。
***
駐車場に車を止めると、俺は車の鍵がかかっていることを確認して、自分の家があるアパートの2階への階段を上がった。鍵穴に鍵を差し込むと、ガチャリと音が鳴って鍵が開く。
家に入った瞬間、さらに疲れが溢れ出た。今日も一日お疲れ様と、自分に語りかけると、靴を脱ぎ、行く途中で浴槽を掃除し、お湯を張る。そしてそのまま手を洗い、うがいをして、ベッドへと向かった。
バフッとベッドが優しく俺を包んでくれる。俺は気の抜けた息を吐くと、そのまま睡魔に襲われそうになり、ハッとした。このまま寝てしまったらスーツに皺が出来てしまう。そしてせっかくお湯を張ったのに、入らずに明日になってしまう。
俺はのそのそとベッドから起き上がると、スーツをハンガーに掛け、ネクタイを緩めながら冷蔵庫へと向かうと、中から缶ビールを取り出して、ぐいっと胃に流し込んだ。
「ぁぁ……」
30代になって、20代と何が変わったかと言うと、やっぱり自分が老いていくのを感じるのと、後は周りが結婚をし始めて、婚期を掴むことに必死になることだ。
と言っても、俺は結婚は別にしなくてもいいかなとか思ってたりもする。最初の方は結婚式に呼ばれる度に、周りが幸せそうなのを見て焦って、婚活に参加しようかとも思った。でも、彼女を作るたびに、毎回言われる別れ言葉に、段々と結婚しなくてもいいかなと思うようになってしまったのだ。
『仕事と私、どっちが大事なの?』
もちろん仕事に決まってる。野暮な質問だ。
仕事が無ければ、食費も生活費も家賃だって払えない。でも彼女がいてもいなくても、生活で変わることといったら、一緒に過ごすことが友達だった時よりただ多くなっただけ。それだけだ。
そんな些細な変化だけだったら、別に彼女なんていらない。
彼女なんていらないと考えているのなら、結婚なんてまだまだ先だ。
『お風呂が沸きました』
俺は缶ビールの空き缶を潰して、ゴミ箱に入れると、寝巻を持って風呂場へと向かう。
俺は自分の恋愛よりも、仕事の方が大事。俺が今まで見つけて、デビューさせて、有名になっていった奴らの今後の方がよっぽど大事だ。有馬やMinami、モネにsoraの未来の方がよっぽど大事なんだ。
自分よりも他人。確かに疲れる人生を送っていることは確かだけど、別に今の仕事に不満は無いし、むしろ幸せを感じているのだから、俺は別に自分の生き方を変えるつもりはない。
俺は服を脱ぐと洗濯機に入れ、湯舟に浸かる。「ああ……」と声が漏れ、10代の時は言わなかったのになと、心の中で自分が年老いていくのを感じた。これで40代、50代となったらさらに出来ないことが増えていくんだろうな。
体力は衰えるし、皺は増えるし、肌年齢は衰えるし、記憶力が低下するし、時間は早く経つし、ぼーっとする時間も長くなるんだろうな。
「こりゃ、みんな若いままでいたいのも納得だわ」
俺の声が風呂場で反響すると、その余韻を耳でぼんやりと聞きながら、俺は目の下まで湯舟に浸かった。それからしばらくの間浸かって、湯が段々と冷たくなっていくのを感じて、シャワーに手を伸ばす。冷たい水が流れ始め、それから段々と温かくなっていくのを湯気で感じながら、鏡全体が曇ったのを確認して、湯舟から上がった。
湯舟から上がると、多少疲れは取れたものの、まだうっすらと残っている感じがあった。20代の時は、まだ風呂に浸かっていただけで疲れが取れていたのにな。
「疲れが取れるバスクリンじゃねぇじゃん」
俺はオレンジ色に染まった湯舟に吐き捨てると、「バスクリン、変えよ」と言って、髪を濡らした。
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