ぬかるみ

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瀬戸内のマンションの前に来ても、湯川はまだ信じられなかった。 自分から泊まりに来たいと、彼は言った。 こちらに対して明らかな好意を向けてきたし、弱音までさらけ出してきた。 あの時湯川は、瀬戸内の深い内面を見たのだとばかり思っていた。 脆くて危うい、彼の一辺を見た時——彼への愛しさで満たされたのだ。 守りたい、守れるのは自分だけだとも思った。 それは——驕りだったのだろうか。 呉上との仲について、彼が認めることは最後までなかった。 なにもない。 部屋に来たのは一度きりだと。 しかし——今日は木曜日だ。 瀬戸内は会社にはいなかった。 エントランスの前まで来ると、パーカーを羽織り、植え込みのそばに座った。 これじゃあまるで、浮気調査をする探偵だ。 何度か冷静になりかけたが、やはり、納得しない思いが勝って——結局、湯川はその場に留まっていた。 呉上が出てきたのはそれから1時間後、あと少しで終電を迎える時刻だった。 迎車と表示された黒塗りのタクシーが、エントランスの前で停車する。 それを見計らったように、彼はゆったりとした足取りで階段を降りてきて、こちらに気づくことなく、車内に吸い込まれていった。 その何気ない動作だけで、ふたりの逢瀬がすでに相当な回数、重ねられたものだとわかる。 湯川はタクシーが去ってもしばらくそのまま植え込みに座ったままでいた。 馬鹿らしさと虚しさ、苛立ち——それらを持て余しながら、帰るタイミングを掴めずにいたのだ。 その時、たまたまマンションから出てくる住人が見えた。 湯川は反射的にエントランスの中へと滑り込み、オートロックの入り口を通過した。 ここまできたらもう、はっきりさせるしかない。 迷わず、降りてきたエレベーターに乗り込んだ。
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