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瀬戸内とふたたび接触したのは、週が明けた木曜日のことだった。
彼が近づいてきたこと自体に驚きはしなかった。
それは予想の範疇だったし、湯川だって、あのまま終わらせるわけにもいかないと思っていた。
湯川はその日、作業が立て込んでいた。
その上、打ち合わせで外出があったものだから、いつも通り残業をしていたのだった。
先週はみんな残っていたのに、今週は10時を過ぎるともう、誰もいなくなっていた。
各部署の照明はすでに落ちていて、湯川はモニターに向かいながらため息を吐いた。
どうやら今日も、最終退室のようだ。
今月はもう5回目だから、あまり残業続きだと、そろそろ部長からなにか言われるだろう。
その時——モニターの端にポップアップアイコンが表示された。
社内で使用しているメッセンジャーだ。湯川自身はあまり使用しないから、着信音に慣れず、やや驚く。
「お疲れさまです。本日の残業申請がまだ出ていません。業務が落ち着いたら席まで来てもらえますか?」
メッセージを受け取り、思わず振り返った。
よく見ると、一番奥の席だけ照明がついている。
——呼び出した本人が業務で残っているわけではないことぐらい、わかっていた。
わざわざ木曜日の今日、こうして会社にいるのも意図してのことなのだろう。
作業はまだ途中だったが、いてもたってもいられずに席を立った。
足音を立てながらゆっくりと近づくと、緊張気味にモニターを注視していた瀬戸内が、意を決したように顔を上げた。
湯川は、田野倉の椅子を引っ張り出してどっかりと腰掛け、彼に向き合った。
今日はスーツだ。
白いシャツに、チャコールグレーのネクタイ。
深夜にもかかわらずヨレもシワもない、相変わらず完璧な姿だった。
足を組んだまま椅子を揺らして、湯川は彼の言葉を待った。
こちらからの催促を感じたのか、瀬戸内は組んでいた手のひらを揉みながら俯いた。
「もう、彼とは会わないから」
「彼って、どの彼?」
下唇を噛み締めながら、そっと目を伏せる。
こういうところが、加虐心を煽るのだろう。
傷ついた時の表情は、湯川の胸にも、迫るなにかがあった。
「そんなこと言ってても、結局、迫られたら受け入れちゃうんじゃないですか」
瀬戸内は忙しく手のひらを擦り合わせた。
いつのまにか肩で呼吸をしている。
「どうしたら信じてくれる……?」
すると、湯川の膝にそっと手を乗せてきた。
その艶めいた声に、体が強ばる。
湯川は背もたれに体を預けて、泰然とかまえた。
「俺とあなたは違いすぎる。信じろ、理解しろって言われても無理です」
「理解してなんて言ってない。でも嫌われたくないんだ……」
泣きそうな声で言うと、瀬戸内は湯川の前に膝をついた。
そして、太ももに顔を埋めてくる。
椅子を引いて避けようとするも、膝を掴まれてしまった。
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