迷路

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「こんなことして、俺が喜ぶと思った?」 優しく諭すと、瀬戸内はやはり、左右に首を振るだけだった。 これではまるで、小さな子どもを相手にしているみたいだ。 「思ってない。全然、思わないけど——わかんないんだ。君がどうしたら許してくれるかが……」 そして、ぼろぼろと涙をこぼす。 スーツのパンツに、水玉模様ができていった。 湯川は信じられなかった。 何でも器用にこなしてしまう瀬戸内が、こちらの言動にうろたえ、我を失っている。 いや、もしかしたら彼は本当にわからないのかもしれない。 10代の頃から形成された歪な性癖は、彼から「大切なものを大切にする」という当たり前のことを奪っていったのだろう。 しかし、それでも——彼にとって唯一、呉上だけは、別格の存在であることはわかる。 わかるからこそ、固執してしまうのだった。 「呉上さんとは付き合ってるの?」 瀬戸内は首を、上下にも左右にも振らなかった。 しかし、一点を見つめながら、本音を絞り出すように、ちびちびと吐き出していった。 「俺の恩人。もともとは仕事で親しくなって、最初は本当にトランプなんかもしてて……。年が20ぐらい離れてるから、俺はすっかり気を許して、彼に甘えてた。呉上さんは、俺にこういう厄介な面があることも、全部知ってるんだ」 全部知ってるというのはつまり、全部なのだろう。 「それでも、幻滅せずに正面から向き合ってくれた。君は誰かに大切にされないとダメだよって、いつも言いながら、気にかけてくれて。初めてなんだ。あんなに——優しくしてもらったの」 湯川は黙ったままでいた。 本当に優しいなら、「誰かに大切にされないとダメだよ」というなら——何度も瀬戸内を抱くだろうか。 「でも俺はさ、そういうのに慣れてないから——優しくされて、大切にされることが心地いいのに、すごくこわい」 「なにがこわいの?」 「手に入れたらたぶん、失うことへの恐怖で、打ちのめされそうになる……」 湯川はふたたび黙り込んだ。 彼のいうことは、やはりよく理解できなかった。 「俺にとって、呉上さんはちょうどよかったのかもしれない。彼は家庭をもっていたし、最初から手に入らないってわかってたから」 彼は嗚咽のようなものを堪えるように、一度黙った。 そして、口元に手を当てながら、途切れ途切れに再開する。 見ていられなくて、俯いた。 「俺は、呉上さんで『大切にされる』擬似体験をしてたんだ。たぶんそれで安心してた。自分は普通なんだって。彼を強引に巻き込んだのは俺だよ。だから呉上さんは……被害者」 「被害者って言わねーだろ。そういうのは……」 そして、長くため息を吐いた。 瀬戸内もつられて黙り込んでしまう。 しかし、不安そうに手を伸ばしてくると、指を絡めてきた。
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