転居

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転居

湯川はインターチェンジから高速に乗らずに、下道を走っていた。 いつもならば必ず助手席に乗り込んでくる間瀬が、今日は同乗していない。 湯川はゲームの後半からすでにそわそわしていたから、その態度を見て、勘づくものがあったのだろう。 シャワーを浴びてフットサル場を出ると、彼は片手を上げて駅の方へと歩いていってしまったのだった。 ——ナビが目的地周辺だということを告げている。 信号待ちで音声案内を切ると、そのまま左折して生活道路を抜けた。 瀬戸内の自宅に寄ろうと、はっきり決めていたわけではなかった。 連絡もしていないし、自宅にいるかどうかすらもわからないのだ。 しかし、ハンドルを握った時——意識は自然と、彼に近づこうとしていたのだった。 コインパーキングに停車してから、湯川はスマートフォンを取り出した。 画面を見つめながら、連絡をしてみようかしばし迷ったが、結局ふたたびポケットにしまった。 ——ここまで来たら、部屋まで行ってしまったほうが早い。 たまたま住人が出てきたので、オートロック式のエントランスを抜けると、そのまま部屋の前まで来た。 インターフォンを押すが、反応はない。 気張っていた湯川はやや脱力して、ため息を吐いた。 そりゃそうだ。彼にだって予定はあるだろう。突然来たところで———— 思いかけて、ふとドア横のプレートに目が留まった。 先日はたしかにあった「瀬戸内」という札がなくなっている。 湯川はエントランスに戻り、ポストを確認してみた。 やはりそこにも表札はなく、入り口に養生テープが貼られている。 そこで湯川は、ひとつの事実を受け止めざるを得なかった。 彼は不在にしているのではなく、引っ越したのだ。 なんともいえない喪失感が湯川をふんわりと包み、物悲しい気分にさせた。 彼は会社を辞めたわけではない。ただ、転居しただけだ。 ましてや、自分に報告義務などがあるわけでもないのに———— 自分勝手だろうか。 ああやって突っぱねておきながら、傷つくのは。 湯川はスマートフォンをまさぐりかけた手を、そっとポケットから外した。 引っ越したの?と聞いたところで、どうしようもない。 彼はその報告を、湯川にするつもりもなかったのだから。 湯川は気落ちしたままパーキングまで戻ると、ナビも設定せずにうる覚えである帰路を辿った。 途中、道を何度か間違えたが、焦りはわいてこない。 むしろ、少し遠回りして帰りたいぐらいだった。
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