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紳士服を扱うアパレルメーカーから来たという彼の、スーツの着こなしにも目を見張ったが、なにより印象的だったのは、隙のなさだ。
髪には少しの乱れもなく、シャツやスーツには座り皺すらない。靴はきれいに磨かれていて、踵もすり減っていなかった。
全社員を前にしても、彼は背中に針金でも入っているかのように姿勢よく立ち、滑らかな声で挨拶をした。
そして、それを受け取った社員の表情で、まわりも概ね、自分と同じような印象を彼に対して抱いているのだと悟った。
——周囲は時折、彼のことを、ピンと張ったホテルのシーツのようだと揶揄した。
もちろん、ピンとしているのは見た目だけではなく、仕事ぶりに関しても言えることだった。
おそらく、それなりに緊張感のある現場に身を置いていたのだろう。彼はそれまで手薄だった人事評価の再考をはじめ、抜本的な改革を次々と提案し、すぐに頭角を現した。
結果、それらが功績となって、3年足らずで総務人事部長にまで上り詰めたのだった。
「あいつは引き抜きだから」「経営陣とつながっているから」などと、異例のスピード出世をやっかむ者もいたが、彼の仕事ぶりを冷静に見れば、その処遇は至極当然のことだった。
また、これまで中途採用しかしてこなかったEdgeで、新卒採用を始めたのも瀬戸内だ。
昨年は創立以来初めてとなる新卒一期生が8名、入社してきたのだった。
湯川は視線をずらし——その新卒のひとりにピントを合わせた。
入社時から比べると、スーツが大分、体に馴染んだように思う。花粉対策でマスクをしているが、時折、息苦しくなるのか顎の下にずらしていた。
黒くて丸っこい髪型の後頭部が、少し跳ねている。
寝癖が治り切らないのは、相変わらずらしい。
もう自分は、そこを撫でることも、指摘することすらできないのだけれど————
潮が満ちるように、感傷が足元まで押し寄せてきて——湯川はあわててモニターに視線を戻した。
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