第一章「匣の中の死体」

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 私はこの事実を少年時代からずっと恐れていた。それは死という曖昧な概念に対しての恐怖ではなかった。死そのものは曖昧過ぎてどこか遠く、不安ではあったけれど、恐れるものとしては不十分だったからだ。  何よりも怖かったのは突然やってくることだった。おそらく死は、事前に天使や悪魔が教えに来てくれるものではないだろう。前触れもなく、私は私という存在をうしなうのだ。私は死というものを実体験として知らない。だからあるいは死後も私という存在は以前の私とは別の形で残るのかもしれないが、残る保証はなく、残らない可能性のほうが高い。何者かであった私は、死というよく分からないもので、何者でもなくなってしまう。  そこに私は事前の準備が欲しかったのだ。  あの出来事以来、今日まで、私はそんなことばかり考えて生きてきた。例えば病死ならば余命が与えられる場合もあるが、これはあまりに偶然の要素が強く、さらに言えば都合よく宣告された時期に死ねるとも限らない。結局のところ、自らの命を絶つ以外に方法はないのだ。これなら確実に死ぬための準備が可能だ。必要なのは度胸だけ。  私は二十歳の誕生日に通っていた都心にあるМ大学を中退し、生まれ故郷の岐阜県へと向かった。帰ったわけではなく、向かったのだ。  私が目指したのは実家のある田舎町ではなく、その田舎町よりもさらに寂れた隣町だった。その町はずれの山中こそ、私がずっと死に場所に考えてきた場所だった。  この山中には異界へと通じている危険な場所があり、絶対に立ち寄ってはいけない、と少年時代に町の年寄り連中から何度も聞かされていた。  ここに訪れるのは、二度目だった。
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