第一章「匣の中の死体」

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 祖父はかつて「いのちの水」という名称の健康飲料を法外な値段で売り付けていた。平たく言えば、詐欺である。しかし限りなくグレーなその行為で祖父がしかるべき罰を受けることはなかった。祖父を殺したいほど恨んでいる人間は多かったらしいが、彼はその怒りに対して気軽に唾を吐きかけることのできる図太い人間でもあった。  だから自殺未遂があったと聞いても父はまったく信じていなかったらしい。 「本当なら、あんな男にお前を会わせたくはないんだが、な……。めっきり老け込んでしまったのを見ると」 「怖いひと?」  と私が聞くと、父は笑って、 「今は、弱いひとだよ」と答えた。「どうしても最後に孫の顔が見たい、って言われると断れなくてな」  困ったように片手で後頭部を掻く父に、私は「いいよ。大丈夫」と答えた。ずっと色々なひとから聞かされ続けてきた、嫌われ者の顔が見たい。褒められたものではないけれど、もしかしたら心のどこかにそんな好奇心があったのかもしれない。  隣町の祖父の家は、想像していたよりも質素な家だった。詐欺で莫大な金額を稼いだという風評のイメージから、勝手に広大な邸宅を想像していたのだが、そこは外観からして寂しい雰囲気を醸し出していた。  父が玄関のチャイムを鳴らしたが、反応はなかった。ここで諦めて帰っていれば、話は何も始まらなかったのかもしれない。しかし非情にも私たちは鍵が開いたままの扉に気付き、そして私は出会ってしまったのだ。
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