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すると次の瞬間
目の前に彼の左腕が塞ぐように伸びて、助手席側のドアに手をつき、右手は私の頭の横のシートに。
その鋭い目をした顔が目の前にあって
少しも逸らさずに見つめられた。
「この車の中で親父とした事でも思い出してた?」
またその顔。
私に意地の悪い事を言って楽しんでる顔。
「……あなたが思ってるような事してません」
そう、ここに座った時は
私が話す事をうんうんと頷きながら
藤井さんは楽しそうに聞いてくれてた。
そんな場所だった。
「へぇ……。
でも、この位はしたでしょ」
この位?
そう思った時には
もうその唇が私の唇に触れてた。
ほんの数秒の出来事。
唇が離れたら
鼻がまだ触れそうな位近くで目を合わせ
「親父の事、なんて呼んでた? 」
「………藤井さん……って」
「それじゃ、オレは典幸ね」
少し微笑んで
身体を運転席のシートへと戻し
今度はシートベルトを引いて留めた。
今あった事なんて
この人にはただの挨拶代わり程度のよう。
だから私も、何も言わずにシートベルトをしながら
こんなにも、お互いに感情の無いキスは初めてだと、心の中で思った。
ハンドルを握り
後ろから来る車を確認した後
彼は車を走らせ
「ちょっと泳ぎたいからさ、付き合って」
「え? 泳ぐ……? 」
「オレ、今さっきNYから戻って来たばかりなんだけど、海外から戻ったらひと泳ぎするのがルーティンなんだよね」
「でももうこんな時間……」
車の中の時計は23:40を表示してる。
「うちの会社と提携してるジムだから大丈夫。
この時間はオレの貸切」
前を見ながら話す横顔に、藤井さんが重なって見えた。
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