水の中へ

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水の中へ

「……ありがとう」 小さい声で呟けば 「もっと可愛く笑って言って欲しかったけど。 どういたしまして」 彼はそう言うと すぐにプールサイドへと歩き出し 水着のウエストの所に挟んでたスイムキャップを被り、軽く屈伸したり、腕を伸ばしたりした後 プールの端に立ち 一瞬のうちに水の中へと飛び込んだ。 ほんの少し飛んで来た水しぶき。 彼の身体が水面に上がって来たのと同時に 私はプールサイド脇にある 長椅子に腰掛けた。 コースロープで区切られた真ん中のコースを クロールで心地いい速さで泳いで行く。 長い50mのプールをあんなふうに泳げたら きっと気持ちいいんだろうな。 広いプールを独り占めして 心行くまで泳ぐなんて贅沢。 25mすら泳いだ事の無い私には 目の前で50mを泳ぎ切り ターンしてまた泳ぐその姿は尊敬の値になる。 スタート地点に戻ると 息を整えるように肩で息をして、暫くそのまま。 そして今度は水の上で寝転ぶように仰向けに浮かび、ユラユラとゆっくりと進む。 高いプールの天井を見ながら水に浮かぶ。 そんな時って何を考えてるんだろうなんて 彼を見つめながら思った。 そんな時間を忘れてしまうような空間の中 彼はユラユラの泳ぎを止め そのままプールへと潜り 私が座る椅子の前のプールサイド前で水面から顔を出した。 スイムキャップを取って髪を弄り その目は私を見る。 「やっぱり、おいでよ」 もう何度も見た、意地悪な顔で微笑んだ。
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