ウォルフの掃除は終わった

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 長い戦争が終わって、まだ間もない。ウォルフは、フランク人の捕虜になっていた。家族も、帰るべき場所も、彼にはなかった。父は前線で戦死し、母と弟は爆撃で殺された。故郷は焼き尽くされていた。  そのフランク人の男は、見るからに剛健だった。日差しを受けた軍曹の階級を示す襟章が、嫌にウォルフの目についた。  軍曹は、ウォルフら三十人の少年兵たちを前にして、大きなだみ声で言った。 「俺はお前たちが子どもだからといって容赦はせん。お前たちはブタだ。帝国の魔術主義の狂信者だ。だが、俺たちの国は野蛮な帝国と違い、文化国家だ。教育には力を入れている。これからお前たちがブタではなく、人間として生きて行くための、更生の機会を用意した」  そこで一旦言葉を切ると、彼はウォルフを見つめ、前に出るよう顎で示した。ウォルフは逆らうことなく、前に出た。 「おい、ブタ。これからお前たちが何をやるか分かるか?」  ウォルフはなるべく大きな声でそれに答えた。 「いいえ、軍曹殿!」  虚勢を張っていることを感じ取ったのか、軍曹は蔑むような表情を浮かべた。 「分からんのか。やはりお前たちはブタだな。いいか、お前たちが今日からやるのは、『お掃除』だ! 分かるか、お掃除だ! どうだ、汚物漁りの得意なブタが人間になるには、お似合いの任務だろうが。掃除ほど人間的な仕事はないからな!」  それから軍曹は、具体的なことを話し始めた。彼が語るには、これから少年兵が行うのは、帝国が森林地帯に敷設した地雷の撤去作業とのことだった。帝国は侵入してくる敵を防ぐため、その森を地雷の巣に変えてしまったらしい。 「帝国がこの森にばら撒いた地雷は九千発! しかもこの地雷は、ただの地雷じゃない! お前たちの邪術が生み出した、魔力式自律自走地雷だ! 意味は分かるか? ただの機械式地雷ではなく、自分で思考し、敵を見つけ、近づいてきて爆発する地雷なんだ! お前たちはこれを命にかえても掃除しろ!」  軍曹の言葉の後、メガネをかけた瘦身の伍長がやってきて、ボソボソとした声で模型と図を用いて説明を始めた。 「魔力式自律自走地雷は、見た目はこの模型の通り、野ウサギとそっくりだ。素早く走り、穴に身を隠し、敵が来たら足元から飛びついて爆発する。だが、見分ける方法はある。両耳が青白い円筒形の物体に置き換わっていて、緑色に発光しているからだ。それが信管になっている。奴らを見つけたら、まず深呼吸をしろ。精神を落ち着けるんだ。地雷は、標的の負の情動反応を探知して接近してくる。殺意や敵意、敵愾心、恐怖、いずれも奴らを引き寄せ、爆発させる」  伍長は淡々と説明を続けた。 「標的を見つけたら、心を平常に保って、近づけ。奴らを抱き上げたら、首の後ろを探れ。そこにボタンがついている。それを押した後、信管となっている耳を左から引き抜け。ただし、ゆっくりとだ。焦って強引に引き抜くと爆発する……良いか、くれぐれも平常心を保つことだ。恐れたり、敵意を向けたりしてはならない。さあ、この模型でこれから実践演習だ。まずそこのお前、前に出てやってみせろ……」  ほどなくして、少年兵たちは森に送られることになった。訓練期間は一週間に満たなかった。  初日、まだ樹々が闇を纏い梢が僅かに朝日に照らされているだけの早朝、軍曹は言った。 「言っているように、お前たちはそれぞれの区域で単独で行動する。複数人で組むと、除去の効率が落ちる。それに爆発した時に被害が大きくなるからな。おっと、逃げようだなんて思うなよ。森は深い。何も持たないお前たちが森を抜けるなど絶対にできん……」  そこまで言ってから、軍曹は笑みを浮かべた。それは獰猛で凶悪だったが、どこか親しみを込めた笑みだった。 「一人三百発を除去したら、家に帰してやる。三百発を掃除しない限り、家には帰さん。腕が千切れても足が無くなってもだ」  少年兵たちは森に入った。途中で集団は次第に小さくなり、気付けばウォルフは一人になって、担当区域を歩いていた。  彼は何も感じていなかった。ブタと罵られようが、狂信者と言われようが、何も反論する気は起きなかった。家族をすべて失い、生きて行くために少年兵になったのだとあの軍曹に反駁したところで、何になるだろう。  それに、今ではもう、家族のこともあまり思い出さなくなっている。父の声も、母の顔も、弟の泣きべそも、すべてがおぼろげになり、幻影と化していた。  学校の、ウサギ小屋の記憶。あれも薄れている。ウサギとは、どんな生き物だったか? あれだけ手塩にかけて育て、大きくしたウサギたち。忘れるはずがないのに。  アデーレとカール。あの子たちは、どんな子たちだったっけ。  どうやらぼくは、人間的な感情を失っているらしい。ウォルフは冷静に自己を分析した。こんな精神状態なら、地雷を見つけても心が動くことはきっとないだろう。  深閑な森を行くこと一時間、突然、ウォルフの目の前を、何かが右から左へと横切った。見ると、ちょうど一匹のウサギが倒木の上に駆け上がるところだった。焦げ茶色のウサギはしばらくその場でもじもじするように身じろぎし、そして座った。距離は十メートルほど。毛の色に反してその両耳は白く、直線的で、先端から緑色の光を発している。  一瞬、ウォルフの鼓動が高まった。これは、間違いなく地雷ウサギだ。  すると、ウサギは即座に倒木から降りて、彼に向かって歩みを進めた。彼は言われた通り、深呼吸をした。心という容器の中身を吐息と共にすべて捨てるように、ウォルフは深く、静かに、呼吸器を駆動させた。  ウサギは歩みを止めた。いまだにこちらをじっと見つめてくるが、逃げるでもなくその場に留まっている。ウォルフは、そっとウサギに近づいた。地雷というにはあまりにも愛らしい姿をしたそれは、少しだけ後ずさりをしたが、やはり走り去ることはなく、一分後にはウォルフの腕の中で静かに抱かれていた。  地雷は、普通のウサギと何も異なるところがなかった。温かく、ふわふわとしていて、足は泥にまみれており、小刻みで早い鼓動をしていた。ウォルフはしばらくウサギを撫でていた。過去を懐かしむように、それでいて、本当に懐かしむことがないように。負の情動反応で地雷は爆発する。もしかしたら、懐かしいという感情でも爆発するかもしれない。  彼はそっと手を伸ばすと、ウサギの首の後ろを探った。すぐに指先が、何か金属質の硬い物に触れた。これがボタンだ。あたかも絞め殺すように、ぐっと力を入れると、ウサギは突然脱力し、ピクリとも動かなくなった。  次に左耳を掴み、それを回しながら外した。耳と頭部の間には二本の、それぞれ赤色と青色に被覆された太い導線があった。ウォルフは腰のポーチからペンチを取り出すと、練習した通りまず赤色の線を断ち切り、次に青色を切断した。  ペンチ越しに、バツンという嫌な手ごたえがあった。まるで血管を切ったようだった。彼は冷静に、右耳も同じように処置をした。  終わった時、彼は深く溜息を吐いた。気付けば、全身の筋肉が硬直していた。深呼吸を繰り返しても、強張った体はなかなか元に戻らなかった。地雷としての生を終え、もはや永久に動かなくなったウサギを撫でてから、ウォルフは持ってきた大きな麻袋にウサギと、取り外した両耳を入れた。  突然、どこか遠くの方から爆発音が聞こえてきた。彼はびくりと体を震わせた。どうやら、隣の区域の誰かが地雷を爆発させてしまったらしい。  これからは、爆発音に気を付けなければならない。爆発音に驚いて、その上もし近くに地雷ウサギがいたら、今度はこっちまで爆死してしまう。彼は袋を担ぐと、更にルートを先へと進んだ。  ウォルフはその日の夕暮れまでに、さらに四発の地雷を「掃除」した。その間、何回か爆発音を耳にした。帰還地点に戻ってきたのは三十人中二十五人だった。生き残った者のうち、ウォルフが一番成果を上げていた。一方で、一発も除去できなかった者が八人もいた。  積み上げられたウサギと信管の山を見て、軍曹はあからさまに不満そうな顔をした。 「これっぽっちじゃあ仕事をしたとは言えんな。五人はくたばったようだし……残りは八千九百発以上もあるんだぞ……!」  罰として、その晩の少年兵たちの食事は減らされた。疲れ切り、空腹を抱えたまま、ウォルフは宿舎としてあてがわれた家畜小屋の床に横になった。  夢の中で、ウォルフはウサギを抱いていた。地雷ではない、普通の白いウサギ。彼はそれを抱いて弟に笑いかけていた。ウサギを渡そうとすると、弟は怖がって逃げようとする。彼はそれを見て更に笑ったが、ふと気付くと腕の中のウサギの耳が緑色の光を放っていた。発光の間隔がどんどん短くなり、ウサギの鼓動もそれに比例するように早まる。そして……  目が覚めた時には、まだ深夜だった。狭い窓から差し込む月明りを浴びながら、ウォルフは自分がびっしょりと寝汗をかいていることに気付いた。
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