ウォルフの掃除は終わった

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 その日の朝もウォルフは、まだ誰も来ていない教室にカバンを置くと、すぐに飼育小屋へ向かった。飼育小屋は中庭にあって、ガラス張りの温室の隣にひっそりと佇んでいる。  彼は小屋の前に立つと鍵を回し、建付けの悪いドアをなるべく音を立てないように開けた。  中には、ウサギたちがいた。大きいのが十二羽。いずれも異なった毛の色をしていて、血肉の通ったただの生き物にしてはあまりにもか弱く、愛らしい姿をしている。よく肥えていて、毛並みも良く、元気に溢れている、ウォルフの自慢の動物たち。ウサギたちは彼の姿を見ると、鼻をひくひくとさせながら、彼の足元に摺り寄って来た。  ウォルフは満足げにウサギたちを眺めた後、持ってきた袋の中身を床にぶちまけた。それは大量のキャベツの切れ端だった。ウサギたちは即座にキャベツに群がると、一心不乱に齧り始めた。彼の母がザワークラウトを作る時に出た、食べるには硬すぎる部分。それをウサギたちは何の苦もなく口にし、飲み込んでいく。  彼は二羽の純白のウサギを撫でながら、優しい声を投げかけた。 「アデーレにカール、今日もお前たちは一緒なんだね。本当にお前たちは仲が良いね」  小川のせせらぎのようなウサギたちの咀嚼音を耳にしながら、ウォルフは満足感に浸っていた。彼がこのウサギたちをここまで大きくしたのだ。並々ならぬ熱意と努力の賜物だった。  食事が終わった後、彼はウサギたちを小屋の隅に追いやりつつ、箒を手に取って掃除を始めた。ふと、彼は入口に誰かが立っている気配を感じた。振り向くと、そこには生物の教師がいた。中年の、頭が禿げかけた教師はウォルフに薄く笑みを投げかけると、おもむろに口を開いた。 「やあウォルフ、おはよう。ウサギたちは元気かな?」  穏やかすぎるほどのその声音に、ウォルフは内心予感するものがあった。すぐに、彼の舌下にほろ苦いものが走った。 「はい先生。元気です」  ややぶっきらぼうなウォルフの短い返答に教師は気分を害した色もなく、満足げに頷いた。そして、なんということはないというふうに言った。 「そうか、それは良かった。じゃあ、この中から二羽、見繕ってくれ。今日の生物の授業で、ウサギの生体解剖をしたい。一羽は通常のジエチルエーテルで、もう一羽は例のニガヨモギとアスフォルデルの魔法薬で麻酔をかける。なるべく肥えていて、健康なやつを頼むよ。そうだ、そこの二羽、そのぴったりと寄り添ってる白い二羽だ。それが良い。それを頼む」  教師が指さした先には、アデーレとカールがいた。ウォルフは即答しなかった。彼の顔に強い拒否の気配を感じとった教師は、やれやれといったように吐息を漏らした。 「ウォルフ(オオカミ)という名前なのに、どうしてそんなにウサギ(ハーゼ)に執着するのかね。こんなのはただの家畜だよ。それに、こいつらは君の所有物じゃない。授業で使うとなったら、すぐにでも差し出してもらわないと困る。君ももう十四歳だろう。それくらいは分かるはずだ。それにな……」  教師は煙草に火を点け、軽く一服した後に言った。 「二週間後には、このウサギたちも全部軍に供出されることになっている。あまり生き物などに愛着を抱かないことだ。我が帝国の分別ある大人は、生き物ごときに入れ込んだりしないものだよ。それに、君もいずれは戦場に行くことになるんだ……」  その日、生物の授業が終わった後、ウォルフは二羽のウサギの亡骸を抱えて、中庭の外れに墓を作った。アデーレとカールの墓。ウサギのように、こじんまりとした可愛らしい墓だった。  ウォルフは墓穴を掘った時に土で汚れた手を水道で洗うと、そのまま家路に就いた。  その晩、彼はアデーレとカールを抱いている夢を見た。夢の中のウサギたちは元気で、ふわふわとしていた。目覚めた時、彼は自分の目から涙が零れていることに気付いた。
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