違法の花(前)

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違法の花(前)

「なぁ、イッキ。おまえ、婆さんの棺に花をそえてやりてぇとは思わないか?」  それは、おばあちゃんが死んだ夜のことだった。僕と祖母が二人だけで暮らした小さな家には親戚が4、5人来ていた。そのうちの目つきの悪いおばあちゃんの妹の旦那さんが僕にこそっと話しかけてきた。 「花を?それは新しい法律で禁止されているはずだ」 「あーあ、可哀想な婆さんだ。法律にしばられてあの世に行くのに花の一本も見られねぇなんて」 おばあちゃんの妹の旦那さんはわざとらしく肩をすくめた。僕はおばあちゃんの棺をちらりと見た。おばあちゃんの棺の周りには花が一本もない。作り物の花でさえない。僕がまだもっと小さい頃に法律が変わったから花を楽しむことは禁止されたと大人から聞いた。実際、僕もこの目で恋人に花をこっそりと送った人が黒ずくめの見たこともない真警察とやらに捕まっていくのを見たことがある。僕はその時不思議でならなかった。大人は何を考えているのだろうと。馬鹿馬鹿しいと思った。 「おまえにその気があるなら、花が咲いてる場所を教えてやるよ。火葬の前にこっそりと棺にいれてやればいい。花は燃えちまうから、誰にもバレないぜ」 僕はおばあちゃんが好きだった。おばあちゃんはよく僕に花の話をした。もう、庭にはなんの花も植わってないのに、つらつらとおばあちゃんの花の言葉は出てくるのだ。おばあちゃんはきっとすごく花が好きだったのだろう。そう思ったら、この花が一輪もないこの葬式に腹が立ってきた。花が何か悪いことをするのか、と憤りを覚えた。僕は旦那さんから花の咲いている場所を聞いた。  おばあちゃんの火葬は明日の朝行われる。だから花は今日中に手に入れておく必要があった。夜中、家の外に出るのは禁止されていたけれど、僕は部屋で寝ると言って自分の部屋に入ると、窓を開けて家から出た。明るい炎の光がさしている部屋の前を通る時は腰を少しかがめた。すると、部屋の中の声が微かに聞こえた。 「いやよ、わたしのところだってギリギリなのに」 「わしのところも無理だ。どうみてもこの老体に子供一人みれると思うか?」 なんの話をしているのか分からなかった。僕はそのまま裏口から町に出た。旦那さんから聞いた話によると町の空き地に積まれている木材の後ろに白い花が咲いているのだという。その空き地は隣の家に住んでいるおじさんが怖い人だったから、僕達子供はその空き地で遊ぶことなしなかった。遊んだら絶対にうるさい、としかられるだろうから。  暗い灯りの灯っていない道を走る。ひんやりとした風が冷たい。このひんやりとした風ももう慣れっこだ。この町ではずっとひんやりとした風が吹いている。おばあちゃんは花が禁止になったのも、このひんやりとした風が関係していると言っていたが僕にはなんの関係があるのか全然分からなかった。 「これこれ、坊や」 その時、不思議な二人組に声をかけられた。一人は白装束の髪が長い女性みたいな男性。もう一人は外套を頭までかぶっていて顔は見えない。二人ともこの町の人間ではないと思った。 「こんな夜中に急いで、どこにいくんだい?」 僕はなんて答えようか困ってしまった。何故なら誰にも見つからないつもりでいたからだ。だからなんて言い訳をすればいいのか考えていなかった。 「家、家に帰るんだ。友達の家で遊んでいたら、おそくなってしまったから」 思いついた答えがこれだった。本当は家から出てきたのだけれど、この答えが一番不思議じゃないはずだ。 「そうか、なら私がお家まで送ってあげよう。なに、夜道は危ない。大人が一緒にいるべきだよ」 「お兄さん、この町の人じゃないよね。この町なら大丈夫だよ。平和だから、怖い大人なんていないよ」 そこまで言って、ふと自分の言った言葉を頭に思い浮かべた。怖い大人なんていない。今まさに、僕の目の前に立っているこの二人組はいかにも怪しいではないか。この町の人間でもないのに、家に送っていくだなんて、おかしいと思った。 「そ、それじゃ」 僕は逃げるようにその二人から離れていった。途中で後ろを振り返ったがあの怪しい大人たちはさっきいた場所から動いてないようだった。ただ、こちらに手を振っていたので、僕はよけいに奇妙に思った。  空き地について僕は一直線に積まれている木材へ走った。すると旦那さんの言った通り、確かに白い花が一輪咲いていた。僕はその花を優しく摘んで懐につぶれないようにしまった。その時、ひんやりとした風が一際強く吹いた。僕は少し怖くなって急いで空き地を出た。帰り道はなんだかとても奇妙だった。家の横を通りすぎるたびに、視線を感じた。その奇妙さが頂点に達した時だった。後ろから漁師のお嫁さんの声がした。 「イッキちゃん……」 「お姉さん、どうしたの?」 漁師のお嫁さんは涙声で僕の名前を呼んだ。そしてよろよろと近づいて来ると僕の肩を掴んだ。 「だめよ、だめなのよ……お願い、花を今すぐ捨てて」 僕は背筋が凍った。どうしてお嫁さんが花のことを知っているのだろう。 「イッキちゃん、今の世の中はね、ダメなの……」 お嫁さんが僕を抱きしめようとしたから、僕は懐にしまっている花が潰れてしまうと思って、身をよじってお嫁さんから離れた。お嫁さんはすごく悲しい顔をしていた。お嫁さんは僕のことをよく可愛がってくれていたから、そんな顔をさせているのが辛かった。僕は耐えきれなくなってその場から逃げ出した。  自分の家に近づくに連れて何か騒ぎがおこっていることに気がついた。人が集まっている。僕が家から出たことが気づかれてみんなが騒いでいるのだろうかと思った。僕は物陰に体を隠して家の方を見た。すると僕は目を疑った。あの、数年前に花を送った恋人を捕まえた黒ずくめの真警察が何人かいる。ということは、僕が花を摘んだことがバレてしまったのだろうか。でも僕が花を摘んだのは先ほどのことでバレるには早すぎると思った。冷や汗がこれでもかと出てくる。 「これこれ、坊や」 すると背後から声が突然聞こえた。驚いて声が出そうになるのを口を自分の手で塞いでおさえる。上下する肩と荒れた呼吸のまま振り返ると先ほど会った怪しい二人組がいた。 「な、なに」 「君、何か持っているね?」 髪の長い男性は僕の懐に視線を落とした。もしかしてこの二人組もあの黒ずくめの警察の仲間かと思って尻もちをついた。もうだめだ、捕まってしまった。 「失礼」 固まって動けない僕の懐に手を突っ込んで花を取り出す。髪の長い男性は花を見てにっこりと微笑んだ。 「綺麗な花じゃないか。君はこれが欲しくて急いでたんだね」 僕は何も言えなかった。 「でも、おそらくだけど、君の家だろう?あの真警察がいる家は。なんだって、花に手をだしたんだい?」 「おばあちゃんに、亡くなったおばあちゃんに花をあげたかったんだ」 「翠蘭、覚えておきなさい。今の時代は死者に花を捧げることも違法な国になってしまったんだよ」 髪の長い男性は隣にいた外套の人に話しかけた。翠蘭と呼ばれた外套の人は静かに頷いた。 「坊や、その花を私に預けてはくれないかい?きっとその花を持ったまま家に帰ったら真警察に捕まってしまうだろうから」 髪の長い男性は少し奇妙なくらいの笑みを浮かべた。奇妙だと思ったのは法律が変わってからこんなふうに笑う人がいなくなってしまったからだ。だから、この時代にこんな風に笑うのは少しおかしい人だと思った。 「少年、分かるでしょう。このまま花を持って家に帰っても少年は捕まってお婆さんに花を捧げることは叶わなくなる。ここは、私たちを信じてください」 外套の人が僕に向かって喋った。その声はまだ若い女の人の声だったから、外套の人が女性だということがわかった。でも見ず知らずの人を、それも町の外の人を信じるのは気が引けた。 「シキ様、真警察がこちらに向かっています。後数十秒で危うくなります」 外套の女の人が僕の家の方を見た。確かに真警察の人間が数人こちらに向かっている。僕は髪の長い男性の手のうちにある白い花を見た。そして葛藤した。 「絶対、絶対、絶対返してよ。それは僕のおばあちゃんの花なんだから」 「あい、わかったよ。坊や、この花は必ず返そう」 「行きなさい」 外套の女の人に背中を押されて少しよろめいた。何をするんだ、と文句を言いたくなり後ろを振り返ったが、不思議なことにそこに二人の姿はなかった。驚いて辺りを見渡したが夜の静寂に足音一つ、聞こえなかった。  僕はこちらに向かってくる真警察と対峙した。真警察は全身黒い服を纏っていて顔にも布をかけている。表情は見えなかった。 「ハナミヤイッキ、お前が花を持っていると通報があった。それは真か?」 「持ってないよ」 僕は両手をひらひらとさせて何も持っていないことをアピールした。真警察は僕の体に手を伸ばして花を隠し持っていないか探った。さっきあの二人に花を託していてよかったと思った。真警察は僕が花を持っていないと知ると舌打ちをした。 「おい、どうなってるんだ。あの男の情報は嘘だったのか?」 「確かに言っていたよな、小僧が花を摘みに行った、って。くそ、騙された」 そこまで真警察が言ったことで僕は察してしまった。おばあちゃんの妹の旦那さんが僕を売ったんだと。僕は思考を巡らせた。どうして旦那さんは僕のことを真警察に売ったのだろうか。それは単に僕が邪魔だったからだ。すると、ストンと納得がいった。おばあちゃんがいなくなった後の僕は誰に任されるんだろうか。それは、あの人達だ。だから僕が家を抜け出した時に聞いた揉め事も全部僕の面倒を誰が見るか、だったんだ。  僕は頭に血が上って揉めている真警察の目を掻い潜って家へと走り出した。乱暴に玄関を上がると親戚の人が目を見開いてぎょっと僕を見た。 「イッキ、あんた花を摘んだんだって……?」 「うるさい!おばあちゃんの好きな花のことを利用しやがって!」 僕は急いで部屋に戻った。家を出るつもりだ。僕をあんな訳のわからない連中に売ろうとした親戚の人たちがひどく憎くて恐ろしかった。一刻も早く身支度をしなくてはいけない。部屋の扉を開けると一人の青年が立っていた。真警察の一人かと身構えたが、どうも連中とは格好が違った。連中とは違う、高貴な着物を身に纏っている。 「花を摘んできたんじゃないのか?」 青年はジロリと僕を睨んだ。僕は思わずその場に固まった。その瞳が刃のように尖っていたから、口を開けば斬られてしまうと思ったからだ。青年は僕に近づいて顔を僕の首もとに寄せた。そして舌打ちをすると僕を思い切り突き飛ばした。 「やっぱりだ!!守樹の臭いがする!!睡蓮だ!!あの腰ぬけがこの町に来ているんだ!!おい!!人をよこせ!!睡蓮がいるぞ!!今度こそ殺してやる!!」 青年は顔色を変えて怒鳴り散らした。僕は呆然として口をぽかんと開けていた。 「おい、小僧。睡蓮はどのくらいの手勢でいた?どこで出会った?武器は何を持っていた?どんな格好をしていた?」 呆然としている僕の胸ぐらを青年がニコニコと不気味な笑顔で問い詰める。だけど僕には臭いのことも睡蓮と呼ばれた人のことも知らなかった。確かに怪しい二人組には会った。ということは、あの二人組の髪の長い方が睡蓮と言う名前なのだろうか。だって外套の女性は翠蘭と呼ばれていたからだ。でも男性の方は翠蘭にシキ様と呼ばれていなかったか。僕が黙っていると青年はまた舌打ちをした。 「なぁ、今日は小僧の婆さんの葬式なんだろ?なんだったら、小僧も婆さんの所に送ってやってもいいんだぜ?」 「僕は誰にも会ってない」 どうしてあの二人のことをかばったのか、口に出してから疑問が出た。 「強情な餓鬼め」  僕はその後やってきた真警察に捕まってしまった。部屋に見張り付きで閉じ込められて、とてもじゃないけれど葬式という雰囲気ではなかった。一晩中、睡蓮という男の人について話せと責められて時には頬を打たれた。それでも僕が彼らのことを話さなかったのは、あの二人が僕の大切な白い花を持っているからだと気づいた。
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