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1. 自分が正しいと思っている親
(なんでこんなことになったんだろう・・・俺は母さんの言う通りにしてきただけなのに・・・)
うちの親は周りから見れば異常らしい。特に母親。それは俺も薄々感じている。特に勉強に関しては凄くて自分がいい高校、大学に行けなかったコンプレックスからか俺にいい成績を取らせようと必死になっている。そんな母親の口癖は
「お母さんの言う通りにしていれば間違いないの!」
だった。実際俺はそれを信じていた。なんでかって?小さい頃から母親は正しかった。幼稚園の時に公園に向かって走っていたら
「そんなところで走ると転ぶわよ。」
と言われ、本当に公園の入り口の段差で転んだ。母親には
「ほら言うこと聞かないから」
と言われたっけ。
公園の木に登って遊んでいた時も
「そんなことしたら落ちるわよ。」
と言われ、やっぱり落ちた。その時も
「お母さんの言う通りでしょ。」
と言われた。そのほか色々あった。熱い食べ物をフーフーせずに食べて舌をやけどしたり、ジュースをよそ見していてこぼしたり、母親がこうなるわよと言うことは大体そうなった。その結果母親が言うことは正しいと思うようになってしまった。今思い返してみれば大したことない。段差があるところで走れば転ぶし、ジュースだってよそ見して運べばこぼす。なのにだ。なぜが母親が絶対的と言う呪縛から抜けれずにいる。そんなこともあって今の塾も合わないと感じているのに辞めたいと言い出せずにいる。教室で30人で受ける講義式の塾。講義が終われば質問したい生徒が教壇の前に列をなす。俺はなぜがそこに行くことができなかった。なぜだろう。こんなこともわからないのかと思われるのが怖かったのだろうか。自分の後ろに並んでいる生徒にしょうもない質問をする申し訳なさがあったからだろうか?そんなわけで講義で分からないことがあっても聞きに行くことができなかった。俺が入りたかったのは個別の塾。マンツーマンでなくてもいいから少人数でもっと先生との距離が近い塾が良かった。でも、母親はそれはダメだと言った。高いし、周りとの競争心がなくなってしまうから。父親は料金を気にせず好きな方を選んでいいよと言ってくれたけど母親の言う通りにした。実際に塾のクラス分けは毎月のテストで決まるし、席も成績順だった。当然競争心だって芽生えた。でも、それだけな気がする。塾のお陰でわかるようになったのではなくて、クラスがどんどん下がって恥ずかしい思いをしないように勉強するようになっただけ。これは果たして塾としての役割を果たしているのだろうか。
高校で配られた進路希望調査。本当はシェフになりたかった。親は共働きで忙しく、よく代わりに料理をしていた。そこで料理の楽しさを知ったのだ。そして、いろんな人に自分の料理を食べてもらいたいと思った。だから、調理師免許の取れる専門学校に行きたかった。しかし、それを伝えた途端母親は激怒した。
「せっかく勉強頑張って進学校に入れたのになんてこと言うの!?この高校から専門なんて行く人なんていないのよ!進路実績見たでしょ?ちゃんといい大学に言ってお母さんに恥欠かせないでちょうだい!今の成績ならそれなりにいいところ狙えるんだから!」
そうして俺の志望校は実家からほど近い公立大学に決まった。今のレベルではまだ厳しいが全く無理というわけではないところだ。第二以降には今でも十分狙えそうな国公立と私立大学を書くことになった。俺の夢は無かったことにされた。それでも俺は母親が正しいと思った。「男の子は工学部が就職に強そうよねぇ」という母親の一言で志望学科まで決まった。俺はただ母親の言うことを聞いているだけだった。志望校が決まれば勉強するだけだ。母親は俺の成績に合わせて塾の講義を追加してきた。その上講義のレベルも高めのものに変えてきた。俺はクラスが下がるのが嫌で必死に勉強した。その甲斐あってクラスが下がることはなかったが上がることもなかった。塾に通っていることが意味があると言う実感がまるで無かった。でも母親は言っていた。
「今は結果が出てないだけで努力したことはしっかり身になっているのだから。」
ってだから俺はそれを信じたのだ。
相変わらず、塾は役に立っているのか疑問なまま俺は塾に通い続けた。夏休み明け、模試の結果が返ってきて友達が第一志望A判定もらったとか言ってて焦った。俺はEだったから・・・今のレベルでも狙えると思ってた第二志望以降もCかDだった。流石にこれは俺としてもまずいと思った。
家に帰って模試の結果を見せると説教が始まった。
「お金出して塾に行かせてやってるのに、なんなのこの成績は!?」
母親のヒステリックな声が響く。俺は限界だった。
「俺は個別の塾に通いたかったんだ!それに塾の授業のレベルも上げてほしく無かった。あの塾じゃ、講義終了後に塾生が列になって質問していてなかなか質問ができないんだ!」
言いたかったことを思いっきり言った。
「わたしは健斗があの塾に行きたいって言ったから行かせたのよ。あの塾に散々お金かけたのに辞めたいだなんて・・・」
母親はそう言って泣き出した。近くで見ていた父親が助けてくれると思っていた。なのに・・・
「健斗、お母さんの言う通りにしてやってくれ。」
唖然とした。塾を決める時好きな方をって言ってくれたのに。こう言う時は母親の味方になるのか。母親が泣いたからか?
それからも仕方なくその塾に通い続けた。大変だったけれど講義後に質問の列に並ぶようにもなった。だけど一つすごく嫌なことがあった。それは母親が徒歩で迎えにくるのだ。母親はペーパードライバーだ。父親も仕事で遅いからか迎えには来れない。母親は塾のたびに塾の入り口まで迎えにきた。俺は母親似だ。ある日、全く知らない塾生に
「お前のかぁちゃん迎えにきてるぞ」
って声をかけられた。すごく恥ずかしかった。塾が終わるのは21時。他の塾生は友達とおしゃべりしたり、寄り道したりしながら帰っていく時間だ。でも、俺だけは違う。心配だからと言う理由で迎えに来られる。そんな親、女子生徒の親でもいない。迎えに来るならせめて、塾の前じゃないところがいいと言うと悲しい顔をしながら怒られた。
「わたしは健斗が心配で迎えに来てるのよ!そんなこと言わないでちょうだい!」
あまりに大きい声で周りの塾生がこちらを見て来た。騒がれる方がよっぽど恥ずかしいのでそれ以降は何も言わなくなった。
冬休み。受験勉強も追い込みの時期だ。受験生にお正月はない。もちろん塾もやっている。別に受講したくなかったのに母親はいつもの講義にプラスして冬季講習にまで勝手に申し込んできた。俺としては家で苦手なところを重点的に復習したかったのに・・・塾の冬季講習じゃあ、みんなが苦手な分野や受験で狙われるポイントばかりやるだけだ。本当に自分が必要としている勉強をする時間がなくなってしまった。ここまで来ても模試の結果が振るわず、焦る俺に母親はいつもこう言った。
「お母さんの言う通りにしているから健斗は大丈夫よ。」
って。もうそれを信じることしか出来なかった。今までも母親の言う通りにしてうまく行って来たから・・・
そうして迎えたセンター試験当日。手応えはまるでなかった。冬休みに勉強しようと思っていた苦手だった項目がたくさん出た。もちろん塾でやったところも出たけれども・・・自己採点の結果も振るわなかった。
この結果じゃあ、第一志望の公立大学は無理そうだ。滑り止めの私立すら怪しい。落ち込んで帰った僕に母さんは言った。
「この点数なら前期は第一志望の大学を受けれるじゃない!何諦めてるの!」
たしかに完全に無理な点数ではない。でも、かなり厳しいはずだ。僕は意を決して志望校を下げたい旨を告げた。
「お母さんはあなたのためを思っていっているのよ!第一志望受けなかったら後悔するかもしれないじゃない!お母さんの言う通りにしなさい!」
そもそも俺はシェフになりたかったのだ。そっちの専門学校に行がないことの方が後悔するだろう。でも、そんなこと言ったらまた母さんは泣く。言う通りにするしかなかった。
第一志望の前期での合格を目指して勉強を続けることにした。しかし、その間にも無常にも私立のセンター利用入試の不合格通知が続々と届いた。私立の一般もことごとく落ちた。俺の心は完全に折れてしまっていた。
第一志望の前期試験の日も思ったほどうまく行かなかった。ネットでの合格発表やはり不合格だった。全ての受験に落ちた俺には国公立の後期試験しか残っていなかった。
あとがなくなった俺には母さんは言った。
「あんたちゃんと塾で勉強してたわよね?寝てたりしなかったでしょうね?もう勝手にしなさい。」
もう言い返す気にもなれなかった。
後期はレベルを下げて十分狙えそうな大学を選んだ。試験当日のコンディションはバッチリで、試験も今までで一番できた手応えがあった。
合格発表当日、ドキドキしながらパソコンで結果を見た。
結果は・・・・・
「不合格」だった。
どうしてこうなったんだろう。俺はただ母さんの言う通りにしてきただけだったのに・・・何が行けなかっんだろう。母さんは何が間違っていたんだろう。俺は母さんに言われるがまま浪人生活を送るのだろう。その未来に何があるのだろうか?
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