2. 宗教を信じる親

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2. 宗教を信じる親

うちはなんだか変わっている。そう感じたのはいつだっただろうか?家の近くに神社があるがそこに親が手を合わせに行くのを見たことがなかった。お正月にすら見たことがなかった。でも、毎日何かに1時間以上手を合わせている。それも朝晩。そして、2.3日に1回はどこかの家へ出かけていく。幼稚園の頃や小学校低学年の頃はよく着いて行っていた。そこでは老若男女様々な人が集まっており、みんなで本を読み合ったり、話し合ったりしていた。そこへ着いていくといつもそこにいる人に褒められた。それに話し合いが終わるといつもお茶とお菓子が出てくる。それが楽しみで仕方なかったものだ。  小さい頃はそれでよかった。しかし、小学校、中学校と成長していくうちに煩わしくなっていった。小学校高学年になると、毎日1時間以上朝晩手を合わせることを強要されるようになったのだ。断る権限はわたしにはない。初めて祈るよと言われたとき、あからさまに嫌な顔をしたわたしに母親はものすごい剣幕で怒った。 「こんなに素晴らしいものに祈ると言っているのにその顔はなんなの!?仏様に悪いと思わないの!?そんないやいややるとバチが当たるわよ!」 そんなに強く怒られたのはこれが初めてだった。怖かった。小学生向けの宗教の会合に行こうと言われて嫌がった時もそうだった。そうしてわたしは学んだのだ。宗教に関して親に反抗してはいけないと。宗教に関しては親は絶対的だった。  そんなこんなで宗教に関しては信じているかのように親には見せてきた。親に養ってもらっているからには仕方ない。そう割り切っていた。その当時のわたしには大人になるとどうなるかなんて考えたこともなかったのだ。  そして去年社会人になった。配属先は地元から離れており、初めての一人暮らしとなった。引越しの前、親に家の近くの宗教の集会所に連れて行かれた。そこで曼陀羅を渡された。わたし的にはいらないのだが、いらないと言ったら何をされるかわからない。だから、黙っていた。でも一番意味がわからなかったのはただの文字が書かれた掛け軸のようなものに1万円払わされたことだった。親はわたしの気持ちなど気づいていないのか曼陀羅を設置する仏壇まで買ってきた。家にある仏壇に比べれば随分と小さいが、それでも一人暮らしの家に有れば目立つサイズのものだった。それを勝手に部屋に設置していった。  引越してから1ヶ月が経った頃だった。家のインターホンがなった。誰だろうと思って出てみる。 「はい・・・」 「こんにちは!太田愛子さんのご自宅でしょうか?」 年配の女性の声がそう言った。 (誰なんだ?わたしはこの家の住所を親以外に伝えていないはずなんだけど) 「・・はい。そうですが・・」 「希望の光の澤田です。お母様から娘さんがこちらに越してくると教団の方に連絡がありましたので訪問させていただきました。」 「はぁ・・」 家の前ででかい声で宗教の話をされるなんて恥ずかしくてごめんだ。仕方ないので開けることにした。玄関に入れると澤田と名乗る婦人は困っていることはないか、元気か、もう新生活には慣れたかなど矢継ぎ早に質問して来た。見知らぬおばさんに心配されても困る。戸惑っていると連絡先を書いた紙を渡して来た。さらにはSNSの連絡先まで交換を申し出て来た。宗教に興味がないので連絡先の交換など必要ないのだが今更追い返すこともできない。渋々交換した。交換を終えると澤田と名乗る婦人は 「これが会合の参加券よ。」 といい、無駄に可愛く花柄で縁取った参加券を渡して来た。 「あと、明日から機関紙も入れますね。また、定期的に訪問します。これからよろしくお願いいたします。お元気でお過ごしください。」 そう言って去っていった。言っておくがわたしは機関紙を取るなんて言っていない。これも母親が取ると伝えたのだろうか。  それから1週間後にまた知らぬ人が来た。今度は若い人で若い人向けの会合があるからとこれまた無駄に可愛い参加券を渡して帰っていった。ふと、新聞を郵便受けから出していないことに気がつき、出す。中身をみると広告だらけだった。テレビ欄も見にくいし、当然のことながら宗教のことばかり書いてあって肝心なニュースがどこにもない。これに金を払うなんて馬鹿馬鹿しい。  「ピコーン」携帯がなる。見てみると母親からだ。 「愛子へ  そちらの希望の光の方とは繋がれた?来週会合があるようだけど行けそう?行ったら連絡ください。あと、機関紙は取るように伝えたから毎日しっかり読んでね!そして、毎日ちゃんと祈ってね!お母さんとお父さんも愛子が元気に過ごせるように祈ってます。 あと、希望の光でいい人と出会えるように祈ってるね!やっぱり結婚相手は希望の光の人じゃないと良くないから。 ゴールデンウィークは希望の光の本部に行くからその時に会おうね。健康に気をつけてね。 母より」 見ていてうんざりした。家を離れれば宗教とも離れられる。そう思っている自分がどこかにいたのだ。でも、そうではないようだ。その後も頻繁に母親から連絡がきた。内容は決まって会合に行ったか報告しろとか、機関紙は読んでいるかだった。たまに希望の光の人と良い出会いがあるように祈っていますと言った内容が入っていた。この時代に自由に恋愛もできないだなんてとんでもないことだ。そして、ゴールデンウィークは本部に行くらしい。これはわたしも強制的に数に入っているようだ。どうせ偉い人の話を聞いて、仏壇に手を合わせるだけだ。本部自体の滞在時間はいつも1時間にも満たない。それだけのために田舎から電車と新幹線を乗り継いで往復10時間近くかけてくるのだから馬鹿馬鹿しい。ゴールデンウィークが一気に憂鬱になった。  憂鬱だったゴールデンウィークが来た。親は予定通りわたしのアパートにやってきて、仏壇が綺麗に保たれているのかをチェックしていた。それが終わると本部へ出発だ。本部では親が何やらお布施の申し込み用紙を記載している。いつもの流れだ。この後お布施を収めてお偉いさんの話を聞いて、仏壇に手を合わせて終わり。適当にやっていればいいから気が楽だ。そう思っていたその時だった。 「愛子、あなたも今年から社会人なんだから出してね。5000円ある?」 (え!?) これは予想してなかった。まさかお金を出す羽目になるなんて。しかし、ここで拒んでいる場合ではない。拒んだりなんかしたら急に騒がれる可能性もあるし、ここは本部だ。信仰心がなくなったことに気がついた親がお偉いさんを読んでわたしに説教をさせるだろう。渋々お財布を開いて5000円を渡す。お金を使うと思っていなかったからお金はそんなに持ってきていない。お財布の中は一気に寂しくなった。そのあとはお偉いさんの話を聞いて、本部にあるでっかい仏壇に手を合わせて両親は帰っていった。二人とも明日仕事があるらしい。何もそんなに忙しいなら来なくてもと思う。親が帰ったあとはいつもの日々に戻った。相変わらず、会合に行ったか機関紙を読んでいるのかを確認される日々、そして、年末には年末のお布施もやるようにしつこく連絡が来た。  わたしが壊れ出したのはいつからだっただろうか?社会人1年のゴールデンウィークにはもう壊れていたのかもしれない。母親から連絡が来ると動悸がする様になった。電話が来ると心臓がバクバクして冷や汗をかくようになった。帰省すれば地元の友達と会えるのに帰省するのが怖くなった。徐々に未来の見えない人生を生きるのが怖くなり嫌になり始めた。誰にも相談できない悩み、毎日会社と家を往復するだけの日々、死んでいるかのように生きていた。 「仲間はどこにいるの?どこに行けば助けてもらえるの‥」 小さな部屋の中でわたしは力無くつぶやいていた。  
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