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「遅くなってすみません、既に来ていましたか」
俺の読んでいた本に影が差したかと思えば、聞き慣れた声がした。俺はパタリと色褪せた本を閉じ、目の前に立つ軍服を着た青年に視線を向ける。
「来たのか、アビー」
アビーとは、人間らしい名前を欲しがった彼に俺がつけた愛称だ。
「休憩を取るのはお前くらいだ、と上司に咎められまして」
申し訳無さそうにそう言うアビーに
「ワークライフバランスの充実には必要だろう」
と返しておいた。が、アビーは至って淡々と
「僕らにその権利はありません」
と否定した。
「軍人だからな。まぁ退役した俺には関係のないこった」
「軍人時代の貴方はもっとひどかった」
その言葉には少なからず非道いという意味が含まれてるような気がして、俺は自嘲気味に笑った。若気の至りでは許容できないことも、数え切れないほどやった。
「そういえば、貴方は関係ないと言うくせに、なぜ此処に来るのですか?」
アビーが発した問いに
「最大の同族嫌悪ってやつさ」
とだけ答えた。
アビーの言う『此処』というのは、丘の上に建つ廃墟のことだ。俺が若かった頃、俺たちは断崖絶壁の下に住んでいた。でも俺たちは住む場所を手放さなければならない程の間違いを犯した。だから俺は、俺たちのことが嫌いだった。
「それは貴方自身のお考えですか?」
こいつは稀に脈絡の無いことを聞く。それは的を射ようとしているのか、ただただ俺で遊んでいるのか絶妙なラインだった。
「此処は人間の後悔で出来ている。俺は人間が人間だった時代を忘れないために此処に留まるんだ」
俺の口から出た、これまたアビーに負けない程脈絡の無い言葉は借り物のようだった。ようだった、ではない。実際そうなのだ。
人間が人間だった時代、と言うには大袈裟かもしれない。が、私利私欲のために核兵器や何やらと騒いでいた時代は昔というには随分と最近のことだった。
俺も軍服を纏いながら、その過ちの一端を担った。崖の下では大勢の人が死に、人間が住めるような土地は無くなった。だから俺は人間が嫌いだ。人間である俺も例外ではない。
「R-1225-D-Aby」
珍しく、俺はアビーの本名を口に出した。出した理由はよく分からなかったが、一番最初にこいつと会った時、Abyは償いという意味だと言われたことがずっと脳裏に焼きついていた。
この崖の上から下を見下ろした時の景色は、ただの文明の残骸だった。人間が犯した過ちを償うのは、人間では無くロボットの役割だった。
「貴方が言った留まる理由は、貴方の任務ですか?」
アビーは昔の俺と同じことを聞いた。俺の上司は、人間じみた人だった。だが罪を犯した俺みたいな人間ではなく、合理的なんて言葉が一番似合わないような人で、我が身を顧みない人だった。俺を庇って死ぬ時も笑ってこう言ったはずだ。
「任務なんてものじゃないよ…ただの我が儘だ」
俺はもう一度借り物の言葉を使った。
「そう言った方は、貴方を含めて二人だけです」
アビーは心なしか、昔を懐かしむように目を細めた。
「そういや、お前だって、毎回俺のところに来るのは何故だ?」
俺たちは何かに呼ばれて此処に来ている訳ではない。俺はあの方の我が儘を叶える為だが、アビーはなんのためだ?
「貴方を赦すためです」
「それはお前の任務か?」
俺が聞き返すと
「いいえ。僕が優しい誰かの我が儘を叶えたいだけです」
とアビーは答えた。
『あの子はきっと人間を憎み、人間である自分も憎むことだろう。だから、お前が赦してやって欲しいんだ』
『赦す?』
『あぁ、俺はもう居なくなるからね。君には苦労をかける』
『人間ではない僕で良いのでしょうか?』
『人間じゃないから、赦せるのさ』
『最期に一つだけ。それは任務でしょうか?』
『任務なんてものじゃないよ…ただの我が儘さ』
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