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「あれっ、進藤君まだいたんだ?」  大西部長が私の顔を見てあからさまに迷惑そうな顔をした。 「施錠しておきますので、大丈夫です。営業部の方にはまだ残っている人がいると思いますし」 「悪いね。じゃ、お願いするね」  悪い、となんて全く思っていなさそうな顔の大西部長は自分の鞄を抱えると、丸っこい背中をユサユサと揺すりながらと管理部を出て行った。  部長が立ち去ってしまうと、再び辺りは粛々とした何かが体の芯にも心の奥底にもシンと染み込んでくる様な静寂に包まれた。  私はローズ色とパステルピンクのツートンカラーになっているマウスをクリックした。  私が今作成しているのは、引き継ぎ用の資料だ。  私はもうすぐ、十三年間勤め上げた森重産業を退職する。  直属の上司である橋本課長に辞めたい事を伝えると、課長は形式上聞いているだけなのを隠そうともせず、面倒くさそうに退職理由を尋ねてきた。 「資格取得の為」と答えた私に、課長はそれ以上聞いてくる事も無かった。  二、三事務手続きについて話した後、課長が何だかホッとした顔をしている様な気がしたのは、私の被害妄想だろうか。 「えー進藤さん辞めちゃうんだ」とか「勉強頑張ってね」とか言ってくる人達も口先だけで、何の資格だとか突っ込んで聞いてくる人は誰もいなかった。  実際私自身も何の資格を取りたいのか、これから本当に何かの勉強をするつもりがあるのかすらもわかっていない。  ただ、もうこれ以上森重産業にいる訳にはいかない、と思った。  私が、管理部売上管理課管理係に配属になってから、八年になる。私が来た時には管理係には社員が三人いた。一人は寿退社をし、私より二つ上の男性社員は今、人事部で課長をしている。  八年の内にシステム化が進み、以前に比べると業務はかなり簡略化されたとはいえ、三人でこなしていた業務を一人で行うとなると、それなりに私個人の負担は増えていった。  締日にあたる月末になると、残業続きの日々がやってくる。基本、一人でやっていて代わりになる人がいないので、殆ど休みが取れない。  けれど、管理係は森重産業の中の窓際部署、という位置付けがだんだんと定着していった。陰では社内ニートなんて言われる様になっていった。  私が八年も異動にならなかったのは、多分そういう事なんだろう。  それでも、私は自分の仕事に誇りを持っているし、人の評価なんて関係無いと思っていた......。   「御局様にはなりたく無いよね」  最近、同年代の独身の友人達とそんな事を話す様になった。以前は御局様に苦しめられていた立場だったのに、今度は自分がそうならない為に注意しなければならない年代になったのだ。  御局様は自分の仕事と過去にしがみつくという特徴があるらしい。  管理係はおそらく数年後無くなる部署の筆頭だろう。数年後、窓際部署(カンリガカリ)を追われた私はどうなっているんだろう……。  私はに森重産業を辞める決心をした。  けれど私は密かに自分の作る引き継ぎ資料に地雷を埋め込んだのだ......。
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