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 キーボードを叩く音だけが人気の無い管理部に響く。  定時後も残っていた社員達は、私の存在など初めから無かったかの様に、一人また一人と帰っていき私だけがポツンと残された。  けれど私はこの感覚は嫌いじゃない。  シンと冴えきった空気が間仕切りの無い広いオフィス全体に満ちている。主を無くしたデスク達がひっそりと、命令が下る時をただひたすらと待っている。ブラインドの下された窓からは通りを走る車の音も、街灯の明かりも入り込んでくる気配すら感じさせ無い。管理部(ここ)はまるで世界から切り離された小宇宙の様だ。他に妨げる物が無い中、紙をパラリとめくる音とか、マウスをクリックしたりする私のたてる僅かな音だけが、あたりを支配している。  節電の為に、使用しない場所の照明を落としてあるので、管理部に誰もいなくなった今、私のデスクだけがスポットライトの様に照らされている。  今この世界にあるのは私と私のデスクだけだ。そこから先は、夜の闇よりも深い深いの世界。  の世界で私は支配者になる。私は光も空間も時間をも全ての物を司る闇の支配者。手にするピンクのマウスは支配者の証。  けれど、もうすぐこの王国とも別れを告げなければならない。追い出されるんじゃ無い、自分から手放すのだ......。  私は仕事にしか存在価値を見出せ無い様な御局様じゃない......。  根本さんに任せた仕事の確認と些細なミスのフォローをしてから、明日の仕事の段取りを組む。  それから、私はパソコンの引き継ぎ資料のファイルを開いた。クライアント事に細かな注意事項が記載されている。    これは誰かに教えて貰った事では無い。  マニュアルに書いてある物でも無い。  前任者に「こんな事、言われなくってもわかる事よね」なんて嫌味を言われながら積み重ねてきた物だ。前の課長にミスをして怒鳴りつけられる度に、頭の中に書きつけてきた物だ。八年間そうやってきた。そうやって積み重ねてきた物だ。  管理部のシステム化の際、私の取りまとめてきた事項が役に立った。けれど、それで私は特に評価された訳では無かった。管理システムのお陰で私達は楽になった。楽になった分だけ、人手が要らなくなった。その分だけ管理係の重要度が減って、私は社内ニートと呼ばれる様になった。  みんな、ちょっとしたマニュアルさえあれば、新人でもこなせる仕事だと思っているのだ。どのファイルを使うかさえわかっていない癖に、直属の上司である橋本課長ですら、簡単に代替えができると思っている。  私は他の人の評価なんて気にしていないつもりだった。社内ニートなんて言われても気にして無いつもりだった。結婚を羨ましいなんて思って無い筈だった......。    気がつくと液晶画面には、私の握りしめた拳で入力された/マークが沢山表示されていた。拳の上にポトリと生暖かい滴が落ちた。一粒落ちるともう切りが無かった。滴の分だけ/マークが増えていった......。  私は何の為にこんな物を作っているんだろう。  管理係の仕事が、四月に入社したばかりの新人でも簡単にこなせる仕事だと証明する為?  私の十三年間が大して価値の無い物だったと証明する為?    だから、私は木下物産の項目を引き継ぎ資料から削除したのだ......。  自分の存在価値を証明する為に......。
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