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初体験
きっと誰かとこの衝撃を分かち合いたかったのだと思う。吐き出して笑い話にしてしまえば、少しはこの出来事を消化できる。
お互いそう思ったからなのか、はじめて会った彼となのに、僕らは駅前の居酒屋まで流れてきてこうして冷えたビールを飲んでいるのだった。
彼の名前は、セキヤさんという。本名かどうかは知らないし、名字っぽいがそうじゃないかもしれない。どう呼べばいいですか? と聞いたらそう教えてくれた。僕も「アンザイ、です」と少し変えて名乗っておいた。どうせ行きずりの関係だ。年も同じくらいだろうがあえて聞くことはしなかった。
ガヤガヤとうるさい大衆居酒屋の片隅に僕らは落ちついた。聞いている人はいないだろうが、向かいに座ったセキヤさんは声をひそめて言う。
「いや参りました。まさか、あんなに露骨にはじまるとは思わなくて……」
「ふふっ、僕もですよ。ネットで調べてはいたんですけどね。予想の上を行っててびっくりしました。正直こうして無事に帰ってこられてほっとしています」
そうして笑いながらジョッキをあおると、セキヤさんは何か微妙な顔で僕を見ていた。どうしたんだろうと様子をうかがうと言いづらそうに口を開く。
「こういうのってすごくプライベートな質問で、何て言っていいかわからないんですけど……アンザイさんって、男が好きな人なんですよね?」
「え?」
僕はびくりと肩を揺らした。
てっきり彼も僕と同じだと思っていた。だけどその言い方だと違うと言っているふうにもとれる。急に居心地が悪くなる。
「……そうだったら、セキヤさんは引きます?」
曖昧に返してうつむく僕に何も言わず、セキヤさんは半分ビールが入ったジョッキを掴み、残りをごくごくと飲みほしてしまった。そして満面の笑みを浮かべて言った。
「不躾な質問しました。アンザイさんの反応で安心しました。僕もそうなんで、一応確認しときたかったんです」
「ああ」
セキヤさんのカミングアウトにほっとして、僕は自然と顔がほころんでしまった。
「あーそうなんですか! よかった。もしかして違うんじゃないかって焦りました」
えへへ、と戻ってきた酔いにまかせてだらしなく笑う。僕たちは顔を見合わせてひとしきり笑い合った。
すごく気分が高揚していた。
こんなふうに隠すことなく誰かと話せるなんて、僕にとっては生まれて初めての経験だ。うれしすぎて意味もなくにやにやするのが止められない。今日の出来事は衝撃が大きすぎた。だけどこうして話ができる相手に出会えたのなら、思い切って行ってみて良かったと思えた。
「じゃあセキヤさんは、会社とか友達にもオープンにしてるんですか?」
顔をよせて聞くと「いいえ、誰にも言ってません。たまにゲイバーに飲みに行くくらいですかね。アンザイさんは?」と聞き返された。
「僕も……誰にも言ってないんです。本当にセキヤさん以外は知らない、みたいな」
そうして自虐的に笑っても、セキヤさんは笑ってうなずいてくれた。そんな態度に安心して、気づけば僕は、誰にも言えなかった突っ込んだ性癖の話もぽつりぽつり打ち明けていた。
「僕ね、ずっとひとりで生きて行くと思ってたんですよ。基本的に男しか好きになれないし。親にはもちろん言えないんですけど、妹はもう子供がいて孫三人もいるし、それで大丈夫だよなって。でも……やっぱり人肌が恋しいときがあって、思っちゃうんですよね」
そこで、言ってもいいものか不安になって、ちらりとセキヤさんをうかがう。だが彼は変わらず優しい目で僕の話に耳をかたむけてくれていた。
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