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初心者には無理!
実家の茜が死んだ。
急いで帰りひと通りの事をすませて、東京に戻るために電車に乗った。窓の外はもう真っ暗で、遠くぽつぽつと人家の灯りが見える。まるで銀河鉄道に乗っているような非現実的な浮遊感。その窓に映る自分の顔をぼんやり眺めながら、僕は思った。
人生は何が起こるかわからない。
明日死んでしまうかもしれない。
それならば後悔しないように生きよう。
『大人の社交場 シャングリ=ラ』に行ってみようと。
***
「って犬!? 実家の犬の話なの?」
「そうだよ。有給取らせてもらってありがとな。これお土産のあんころ饅頭。激甘だぞ」
そう言いながら僕は、不満そうな顔をしている同僚の岡崎に、透明フィルムに包まれた饅頭をひとつ放ってやった。
「ふざけんなよ安藤。飼い犬が死んだからって、しかも実家の? 急に三日も会社休む奴なんているか?」
「お前な岡崎、人も犬も無い。だいじな家族なんだぞ。残された両親の寂しさを思うと心が痛むだろ? 居てもたってもいられなかったんだよ」
「何言ってんの? 安藤んちの実家、孫三人と同居だっつってたじゃん。うるさすぎて親もぼやいてるしたまに帰ると耳がおかしくなるって言ってたじゃん」
口をとがらせて文句を言っている岡崎を半眼で見て言い返す。
「ふーん、そんなこと言っていいの。お前だって散々休んで俺にフォローさせてるじゃないか。迷惑かけられてる頻度で言えば、俺の方がだんぜん多いと思うんだけどー」
口をつぐんでしまった岡崎はちゃらちゃらした男で、二日酔いだと言ってはしょっちゅう会社を休む。多分今回僕が休んだぶんのしわ寄せはこの男に行ったに違いない。それでこんなに文句が多いのだろうが、いいきみだ。
僕が務めているのは、弱小のスポーツ用具メーカーだ。しかし業界では老舗で、扱っている商品も質が良いと自負している。一般には知られていなくとも、学校や競技団体から定期的に注文が来る安定した会社だ。
社内に営業担当は僕を含めて五人しかいない。そのうちふたりは創業当初からいる定年を過ぎたおじいちゃんで、めったに外回りに行かない。実質動けるのは若手の僕達ふたりと産休中のあとひとりなのだが、まぁ、目の前のこいつは仕事嫌いを公言していて遊んでばかりいる。そのフォローは何故かいつも一年先輩の僕の役割で、余計な仕事までやらされて、僕はいいかげんうんざりしていた。
今までちゃんとやってきたのだから、有給の三日や四日でガタガタ言うなってんだ。
「つか、この饅頭あまッ! なにこれ、暴力的に甘いな……」
食べかけの饅頭を不思議そうに眺める岡崎の横顔に僕は宣言する。
「今日は定時で帰るから。お前につき合って伝票処理とか、これからはしないからな」
そうだ、これからは後悔しない生き方をしよう。
そう決めたのだ。
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