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no.5
「すみません。目が悪いので。」
本心を隠すため、咄嗟に出る嘘は慣れたもの。
「うそつけ。」
「え。。。」
「俺を見くびるなよ。営業でずっとやってきて、いろんな人間と会ってんだ。相手が何を思って、何を欲してるくらい、即座に分かるんだよ。」
先輩も、タバコを揉み消すと、獲物を狙うハンターのごとく、即座に俺との距離を縮めてきた。
予期せぬ展開で、緊張から俺の身体が強ばる。秘めた想いに気づかれていないと思ってたけど、全て、お見通しだったってこと。。。?
となると、俺の先輩への気持ちを承知の上で、あの優しさだったわけ?
会社入りたての頃の俺に、遅くまで付き合って、仕事のイロハを伝授してくれたり、気軽に昼飯に誘ってくれたり、飲みにも何回か連れてってもらった。
お酒が入ると先輩は、やたらと、ボディータッチが多くなって、頭をわしわし触ってきたり、肩を組んで先輩の方へぐっと俺を引き寄せてきたり、何か俺がヘマするごとに、長い指で俺の額を小突くとか、どんだけ、俺をどぎまぎさせてきたことか。。。
普通なら、同性相手が自分に好意を向けてるって察したら、距離をとるもんじゃないの?!
「俺、相田の気持ち、気づいてたよ。」
先輩は、いたずらな目を見せると、俺の唇につくか、つかないかのギリギリまで、顔を近づけ、この状況を煽ってきた。楽しんでるの?
大好きな人にこんな至近距離まで近づかれ、平静を保てるほど、ポーカーフェイスな俺じゃない。「佐久先輩、俺、」
ガチャ
「おっ、佐久に相田、なんだ、睨み合って一触即発か?」
いきなりの部長の登場に、慌てて身体を離すと、
「こいつが、最近、生意気なんで、厳重注意してたとこです。分かったか、相田!」
先輩が、俺を一喝する。嘘ばっか。
「。。。はい」
「気にくわないことあると、やたら、ガン飛ばしてくるんですよ。これだから、今時の若者は。今度やったら、どうなるか分かるよな、相田!」
「。。。はい」
営業の鬼と名高い部長を前に、よくも、まぁ、ペラペラと嘘が出てくるなと感心しつつ、とりあえず、この場を取り繕うため、すみません。気をつけますと頭を下げた。
「佐久先輩、嘘うまいですね。さすが、根っからの営業マン。」
先程のことなど、どこ吹く風で、颯爽と廊下を歩く先輩の背に、俺は言葉を投げ掛けてみる。
「お前は、嘘下手だから、向いてないな、この仕事。」
俺が、先輩をずっと好きだったこと。その気持ちを全く隠しきれてなかったこと。きっとそのことを先輩の言葉が含んでいると思うと、やるせなくなった。
「別に、先輩のこと、好きじゃないですよ。先輩の勘、鈍ってます。きっと。」
往生際悪くとも、最後まで、自分の気持ちを先輩に明かすつもりはない。それが、後々、良い結果を生まないことは、明白だから。
「あっそ、なら、」
先輩が言葉を発すると同時に振りむくと、そのまま、勢いよく、俺の腕を掴み、誰も居ない会議室へと引き連れた。一瞬の出来事で、心臓が止まりそうになる。
「その、生意気な面の皮、剥がしてやるよ。」
と言うなり、先輩は、俺を強く抱きしめた。
身体がどうしようもなく熱い。先輩の腕に力がかかるにつれ、先輩のちょうど胸元辺りに俺の顔がうずくまる。鼻腔から匂う、先輩の薫り。結婚してるからだろう、きちんと洗濯された清潔な香りがして、今、ここには居ない奥さんを感じてしまう。ダメだよ、ダメだ。。。
「相田。。。」
先輩の骨格のしっかりした男らしい手に、俺の手は掴まれると、そのまま、佐久先輩は身を屈め、俺の手の甲にそっと、口づけをした。
男の俺をまるで、どこかの淑女のごとく扱う先輩の紳士的な態度に、大人の余裕を感じてしまう。俺、完全に、弄ばれてるじゃんか。。。
俺の動揺を見透かしたように、微笑む先輩の顔。そして、降伏せざるえないほどの深いキス。。。
あ~、俺は佐久先輩にこうされたかった。。。ずっと。
「俺さ、お前の言う通り、嘘つきだから、」
耳許で囁かれる佐久先輩の声だけで、イキそうになる。。。
「結婚してても、お前を愛せる自信あるよ。。。」
これが、一線を越えた、俺と先輩の不倫の始まりだった。
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