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タスケテー(心の叫び) 50
将嗣は、一瞬ドアの横で立ち止まり、朝倉先生が病室にいる事に驚いた様子だった。だが、直ぐに気を取り直して「ただいま」と言って入って来た。
朝倉先生の前で、少し緊張した面持ちで美優を抱いたまま挨拶をした。
「こんにちは、遠い所までお越し頂いて……お疲れ様です」
「その節は、失礼しました。朝倉です。今回、事故に遭われて大変でしたね。園原さんや美優ちゃんが元気そうで良かった」
「おかげさまで、夏希には大変な思いをさせてしまいましたが美優が無事だったのが何よりです。事故の責任を取って二人をサポートしていきますのでご心配なく」
二人のやり取りを息を詰めて見ていて、メチャクチャ緊張して、息苦しくなって、深呼吸をしたら何かヘンに吸い込んでしまったらしく咳き込んでしまった。
ゴホッ、ゴホッ、
「痛っ!」
咳が出た時、体のアチコチが痛み声をあげた。
「夏希さん!」「夏希、大丈夫か?」
二人同時に声を掛けられ、自分に意識が向くと何とも居心地の悪い事この上ない。でも、ベッドで動けないまま「大丈夫」と痛みで涙目になりながら返事をした。
イタタマレナイー、タスケテー!!(心のさけび!)
「あの、出来れば地元の病院に移れるか、病院の先生に聞いてくれる? 将嗣だって、いつまでも休んでいられないでしょう?」
「わかった、聞いてくるよ」
「あ、美優を朝倉先生に見てもらった方が病院の先生と話がし易いんじゃない?」
将嗣は、少しムッとした表情になったが、直ぐにいつもの笑顔に戻り、美優に向かって
「大丈夫だよなぁ。美優ちゃんはパパとお利口さん出来るよなぁ」
と話しかけながら、病室から出て行ってしまった。
うーん。なんというか。
将嗣が出て行った後、朝倉先生と気まずい空気が流れる。
「翔也さん、ごめんなさい」
「夏希さんは、さっきから謝ってばかりで、そんなに気を使ったら治るものも治らないですよ」
朝倉先生が柔らく微笑んだ。
「でも……」
「確かにアウェー感はありますね」
朝倉先生がクククッと笑った。
「夏希さんと美優ちゃんの無事が確認出来て安心しました」
と、ホッと息をつく。
朝倉先生の作りだす柔らかく包み込むような空気感がとても心地よかった。
「夏希さん……」
朝倉先生が、何かを言い掛けた時、コンコンとノック音が聞こえた。
あれ? さっきもこのタイミングじゃなっかた?
あまりのタイミングにコイツ狙ってんじゃない? と 将嗣を一瞬疑ってしまったが、美優を連れてそんな技が効かない事を思い出し、心の中でゴメンと謝った。ちょっとだけ後ろめたい。
「先生と話して来たけど、今、いい?」
「うん、なんて言っていた?」
「午後、検査して異常が無ければ、地元の病院に転院しても良いって、転院先を決めて向こうの都合もあるから日にちは相談の上、決定でいいよな」
将嗣の話を聞いてホッと息を吐く。地元の病院に転院出来そうで安心した。けど、その後、地元の病院に戻ってからどうするか悩む所。
「すいません。口を挟むようですが、地元の病院に移った後、美優ちゃんのお世話を私に任せていただけませんか?」
朝倉先生がそう言うと、将嗣の眉がピクンと上がる。
「将嗣もお仕事でしょ? 仕事の間、美優の預け先を探さないといけないじゃないかな? 保育園の一時預かりだと時間も決められていて、将嗣のシフトに合うかどうか難しい所だし、朝倉先生の所だったら先生のお姉さん達が助っ人で来て下さるそうなの」
フォローしたつもりだけど、却ってマズかったかな?
チラリと将嗣を見る。
将嗣は、美優をジッと見つめていた。
「……少し考えさせて頂いてもいいですか?」
将嗣が、朝倉先生に向かって軽く頭を下げ、美優を連れて病室から出て行ってしまった。
将嗣の気持ちを考えたら朝倉先生に美優を預けるなんて抵抗があるのだろう。でも、一人では背負い切れない部分は誰かの手を借りなけば子育ては出来ない。自分の意地を通せば、その分子供にしわ寄せが行く。
美優のことに関しては二人で決めなければいけないけれど、将嗣が反対したとしても美優のためになる選択をしなければならない。
「翔也さん、さっき言い掛けていた言葉って……?」
「あ、いや、何だったかな?」
2回も何かを言い掛けていたのに、何か言いにくい言葉だったのかな?
本当は、しつこく聞き出したい気持ちもあったけど、言いにくい言葉を無理やり聞き出すのも憚れたので、朝倉先生がいつか言ってくれると信じて待つ事にした。
「今、美優ちゃんの事は、園原さんが見ているの?」
「そうですね、仕事を休んでいる間は、実家に寝泊まりして見てくれるそうです」
「じゃあ、コッチにいる間は手を出さない方が良さそうだね」
朝倉先生が、少し寂しそうに笑った。
「翔也さん……」
「夏希さんや美優ちゃんを取られてしまったように感じているのは、お互い様なんだろうけどね。やっぱり、夏希さんが事故に遭って、大変な事を知らないままだったのが酷く堪えた。ごめん、怪我人の夏希さんを困らせるような事を言っているね」
朝倉先生の瞳がユラユラ揺れて見える。
その悲しそうな瞳に吸い込まれそうになった。私の頬を朝倉先生の手が包み込み、ユラユラ揺れた瞳が近づき唇に唇が重なる。
お互いの熱が伝わり、その熱が二人の間にある不安を溶かすように感じた。
「温かい……」
唇が離れると朝倉先生が小さく呟いた。
その言葉の意味を考えると、朝倉先生をどれだけ不安にさせていたのだろう。私の頬に添えられた手が、私の顔の輪郭を撫でる。
それは、私を確認しているようにも思えた。
「翔也さん、遠くまで来させちゃってごめんなさい。本当は翔也さんに連絡したかった。声を聞きたかったし、会いたかったの。だから来てくれて嬉しい」
私が言葉を紡ぐと、朝倉先生は、もう一度キスを落とした。
さっきのキスより深く熱いキス。
そして、唇が離れると私の耳元に朝倉先生が囁くような言葉が聞こえた。
「私も夏希さんに会いたかった。声を聞きたかった。また会えて良かった。夏希さんの顔を見るまで不安で不安で……本当は、このまま、家に連れ去ってしまいたい」
朝倉先生の不安を吐露する声が心に沁みて、その不安を拭うようにギュッと抱きしめたいと思っているのに満足に動かせない腕がもどかしい。
「私、早く怪我を治して、翔也さんのお家に遊びに行きます」
「ああ、ずっと居て欲しい」
朝倉先生の優しい瞳が私を見つめている。
「ふふっ、ずっとですか?」
この優しい瞳にずっと写っていたいと思った。
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