エピソード ゼロ 出会い編

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エピソード ゼロ 出会い編

 1921(大正10年)年12月 横浜  この年、横浜市内を走る市内電車が横浜市営となり、さらに近代化へと弾みのつく年となった横浜。  港横浜と謳われるように幕末の開国以来、諸外国の多くの船が横浜港へと寄港してきた。  横浜の街はその度に変貌し、明治以降大きな埠頭も完成した。  外国船が寄港できるようにと完成した埠頭は、大桟橋と呼ばれ、現代でも多くの大型船が寄港した際に着岸に利用されている。  黒いスーツにシルクハット。髪は美しい金髪に北欧の血を引いているのか、顔は白い。というよりも蒼白いと言った方がいい。目は細く長くキツネのような目に瞳には怪しい光が輝く青い瞳。細長い体にスーツが良く似合っている。  男の名はブラッド・リース。  ブラッド・リースは長いフランスからの船旅の途中、立ち寄った横浜港で船を降りた。  船の停船予定は3日と聞かされた。その間、自由に横浜の街を観光できるとあって、手持ちのお金を日本円に変えて、観光に使おうと夜の街へと下船したのだ。  フランスの街とは、また違う雰囲気の異国の街が、新たな歴史を迎えようと賑わっていた。賑わいの理由はもう一つあった。それは今週末、世界はクリスマスを迎えるためだ。  街の通りにはガス灯もあれば、電気の灯りも灯っている。街を歩く人の姿もフランスの田舎町に住む農夫のような姿格好をしている者もいれば、リースのように西洋式スーツに身を包む者もいた。  リースは大桟橋から街を目指して歩き出した。まだ、路面は土混じりの路面に、市営電車が走る大通りだけは綺麗に舗装がされている。  左手にはうっすらと灯りが灯る建物が見える。どうやら話には聞いていた開国記念会館のようだ。その前にはリースの嫌いな教会がある。フランスでもそうだったが、この手の建物から発するオーラは嫌悪感を抱くだけじゃなく、自分達一族を寄せ付けない何か不気味ささえ感じさせた。  低い建物の向こうに明かりを灯し走る路面電車を見つけた。  リースは路面電車に興味を持ち、周囲にいる人に母国語で話しかけたが、誰も手を左右に大きく振るだけで話し相手になってくれない。  リースは路面電車の乗り方を知る事が出来ずに、仕方なく夜の街をぶらぶらと歩くことにした。  どこをどう歩いて来たのかわからないが、西に向いて歩いてきたという記憶だけはある。  作業着姿の男達も多く、彼らは汚れた格好のまま適当な馴染みのある店に入って酒を飲んでいる。  リースは酔っぱらいに絡まれたくないなと思い、一本裏道に入った。それが間違いだったのか、それが偶然の出会いなのか。その時には気づかなかった。  リースの目の前に白い肌着が油まみれに汚れている短髪頭の男が壁に寄りかかりながら居眠りをしている。リースの経験から、こういう輩は本当に酔っぱらっているか、人から金を巻き上げようとする強盗のどちらかだ。  リースは来た道を引き返そうと後ろを振り向いた瞬間、後ろの方から若い女性の声がした。 「あっ!いたっ!たけさん。起きてよ!早く帰らないと、奥さんが心配するよ」  リースは後ろを振り向くと、壁に寄り掛かる酔っぱらいに近づく、水色の少し派手なドレスを着た少女が立っていた。闇夜に隠れた少女の顔は、まだ幼さが残る髪の長い彼女は、たけさんと呼んだ酔っぱらいに手を添えると、その細い体で巨体の男の体を持ち上げようとした。が、持ち上げるどころか、一緒に倒れそうになる始末。  思わず、リースは近づき肩を貸した。  少女は見知らぬ外国人が肩を貸してくれたことに驚いた表情を見せつつも、「Thank You」と片言の英語で返した。 「Comprenez-vous le français?(フランス語は、わかりますか?)」 「Je comprends. Je peux parler un peu(わかります。少しだけですが、話せます)」 「C'était bien. J'ai trouvé quelqu'un qui peut parler(良かった。話せる人が見つかって)」  リースは母国語のフランス語の話せる人が見つかったことで少しホッとした。 「カレハナニモノデスカ?」 「ナニモノ?ナニモノトハ?」 「アナタノコイビトデスカ?」  少女は一瞬、腰が抜けたのではないかと思ったくらい膝から崩れた。 「コイビト?ヨシテクダサイ。カレハワタシガハタラクオミセノオキャクサンデ、カレノムスメサンノカテイキョウシヲシテイルダケデス」 「コイビトジャナイ?ナラ、ナゼコンナニモシンセツニスル?」 「ソレハ・・・」と一瞬、言葉を探す素振りを見せてから、「ムスメサンノカテイキョウシトシテ!オキャクサンヘノサービストシテ」と言った。 「サービス・・・?」 「ヨイッショ・・・」  そう彼女は声をかけて起こし上げると、「オミセ、アッチ」と顎と視線でリースに合図を送ってから歩き出した。 「キミノナマエハ?」とリースが歩きながら尋ねると、彼女は「佐藤環(さとう たまき)。ガイジンサンハ?」と名乗ってから同じ質問を聞き返してきた。 「シツレイ。ブラッド。ブラッド・リース」 「ブラッド・・・?ブラッドッテ、タシカ・・・。エイゴデ《血》ヲイミシテイタヨウナ・・・」 「イミデハナク、コトバダ」  リースはどこへ行っても同じように聞かされる言葉にうんざりした。その表情を見た環は、「ゴメンナサイ・・・」と謝った。  河川敷に並行して走る通りの両端に並ぶ飲み屋街。その内の一軒の店に環は入ろうと扉を開けた。すると、中から静かに優しい感じの声で、「いらっしゃい」と店の奥から聞こえた。  薄いカーテンをくぐって顔を出したのは中年の女性だった。 「あらっ!マキちゃん。見つかった?」と声を掛けると、環は「いました。いつもの場所で寝ていました」と答えた。  女性はその隣にいる外人に気が付くと、「そちらは?」と声を掛けた。  環がリースの事を思い出すと、「あぁ・・・。この外人さんが一緒にたけさんをここまで肩を貸してくれたんです」と説明してから、「リース。アチラガコノミセノママ。テンチョウヨ」と教えてくれた。  リースは何度も頭を下げながら、「ハロー」と挨拶をした。  これが、リースと環の出会いだった。
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