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1923年(大正12年)4月
リースが日本に永住しようと決めて購入した横浜元町に近い山手の家は、環と二人の愛の巣となった。その二人の思いは長く続くと思っていた。
日本で初めて出来た友達、佐藤環がいたからこそ日本に住むと心に決めたのだが、その思いは無残にも砕け散った。
環は故郷、新潟で教師になりたいと言い出し、結局、この3月の春に大学卒業と同時に故郷の新潟へ戻ってしまった。
それまで、1年ちょっとという短い間だったが一緒に暮らすことが出来た自宅は、環の姿が消えた瞬間から空虚な空間と化した。
不思議な子供、ふみも環がいなくなったのと同じ頃から、姿を見せなくなった。人の心を読める少女・・・。
『あの子がいれば、環の気持ちがわかったのに・・・』
西洋式の生活が良いだろうとアドバイスをしてくれた環のアイデアで、テーブルや椅子は足の長い物にし、寝室にはベッドも置いた。
もう、環が目の前から去って数日が経つというのに、まだ枕や布団、彼女が愛用していたクッションには、ほのかに彼女の残り香が残っていた。
「こんな時ほど、太陽の光が憎いと思った事は無いぞ・・・」
リースは窓の外を見つめながら囁くと、枕を持ち、クッションを手にすると広い庭に出た。
庭に出たリースは、おもむろに両手に持つ枕とクッションをぶつけ出した。
枕とクッションの埃や環の髪の毛、残り香を綺麗に消そうとした。
その瞬間、クッションから感じた環の残存思念から、別れ際の彼女の思いが一瞬、リースに感じ取れた。
『リース・・・。何で行かないでくれって、言ってくれないの・・・』
環の残された思いを感じ取った瞬間、彼女が好きだと言っていた桜の木から花びらが一斉に、風に煽られて舞い散る。
「彼女が愛おしい・・・」
桜の花吹雪の中、リースは自分の心に芽生えた物が何かを悟った。自分は一生、芽生える事のない、自分にとってくだらないと人間の弱さと思っていた感情、『愛』を知ったのだ。
リースは手にしていた物を放り出すと、一目散に家を飛び出した。
駅から列車に乗り、環の故郷、新潟へ向かう。時間は何時間かかるかわからない。それでも、環に会いたいという気持ちが強く、環を抱きたいという温もりを求めていた。
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