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しんと静まった一瞬で、診察室に散らばる白が存在を色濃くした。その最たる一つである白衣を着、黒田医師は慎重に、かつ滑らかに喋る。
「朱さん。お父さんは、どんな形で亡くなったって聞いてる?」
「警察の方のお話では。父は洋館のベランダの手すりに縄を結び、首を吊ろうとして――しかし自重で縄が解け、地面に転落したということでした」
「まず、首を括ろうとする場所が怪しいね」
黒田医師は人差し指を鉤の形に曲げると、白衣の下のネクタイの結びをゆるめた。
「菱村ぐらいのお屋敷なら……失礼だけど、立派な梁でも何でも、首を括る場所はいくらでもあるだろう」
「ええ。それなのに、生活区域ではない洋館に父は移動した。それも、あえて家族以外の人間に見つかりやすい戸外を、自分の死に場所に選んで……変だとは思います」
ただ、ベランダの手すりには確かに縄の擦れ跡があった。その他の痕跡は何もなく、誰かに突き落とされたような現場ではなかったという。
「もう一点」
こちらが本題なのだろう。黒田医師は組んでいた脚を外し、椅子から立ち上がった。
「二階の高さから転落したにしては、辺りに飛び散った血の量が少なかったんだ」
「地上で殺されたってこと?」
「いや」
リコの質問に、医師は首を横に振る。
「身体所見を見るに、彼は確かにそこで転落したらしい。問題はその落ちた時間だね。人間、死んだら当分の間は固まっていくものなんだよ、肉も血も」
「ベランダから落ちるとき、父はすでに息絶えていたということでしょうか」
「それも数時間は空けてね」
黒田医師は珠乃の言葉に付け足すと、リコの前を過ぎて窓辺へと渡った。光を透かす水色のカーテンを閉めようとして、しかし取りやめた。
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