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「君のお父さんは、死んだ後に誰かに落とされた――もっと言うと、別の場所からそこに移動させられたんじゃないだろうか。その日、お父さんは外出しなかったのかい?」
「ええと……夜は分かりません。日中は、花き業者を呼んでいたので家にいたのですけれど」
昼間の父は、世間には珍しい黄色の薔薇を買い、どこに植えようかとしきりに庭を回っていた。結局花き業者のいる間には決まらず、その後に一人で根鉢を植え、日が落ちるまで眺めていた。
「父は付き合いだと言って、よく家を空ける人でしたので。気が付いたらいない日もありましたし、母が亡くなってからもそれは続きましたの」
珠乃はカーテンの微々たる揺れを眺め、憂愁にふけった。母の死後、父は確かに落ち込んだ様子だったが、その社交的な暮らしぶりは変わらなかった。だから、まだ人生を続けるつもりなのだと。自分に寄り添い、導いてくれるものだと、何の根拠もなく思っていた。
「そうかい」
黒田医師は気遣わしげに珠乃を見やった。
「今回のように協力できることがあれば、僕は力を貸そう。……ただ、君が求めている真相が。君にとって都合の悪い可能性もあるんだよ」
それでも知りたいかい? という黒田医師の無言の問いに、珠乃は迷わずうなずいた。
「ええ。一度疑問を抱いてしまった以上、うやむやにしたくありませんの」
ようよう歩いている心地だった。すべてを明るみに出さなければ前に進めないのではなく、自分はすでに踏み出している。この悲劇の真相を追うことは、けして珠乃にとっては枷ではなく、いわば杖のような補助輪のような、彼女が新しい日々を獲得するための一つの助けなのだった。
「ただ、黒田先生。絶対に危ない道は渡らないでくださいませ。父の死が不審でも、警察はすぐに自殺と判断したのです。そうしなければいけない事情があったのかもしれません」
「大丈夫だよ」
と、黒田医師ではなくリコが言った。
「凄くない? 黒田先生、探偵にもなれるじゃん」
彼女は純な目を輝かせると、キセルを持つ手を彼の方へ、たおやかに差し伸ばす。
「検視医員と言ってくれたまえ」
「ケンシイイン?」
「死体を診る医者のことだよ」
黒田はキセルを受け取ると、黒漆地の細長い羅宇(※管部分)をくるりと回転させ、洒落た仕草で吸い口を食む。
「というか、僕も犯行とか犯人とか言っちゃってるけどね。真実の蓋を開けたときに、何が入っているのか……まったくもって、魔の手紙だね。あれは」
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