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三兄妹はその後、きっちりと昼食を共にしてから午後の活動に散らばった。それらを見届けた珠乃は、配膳室でティーセットの片付けに従事した。舶来品の、一目で高価と分かる茶器類だ。紙ほどに軽いカップの裏を見れば、珠乃も知る英国の刻印が彫られている。
「もしかして、紅茶淹れるの上手?」
「え?」
珠乃が振り向くと、自分よりも背の低いメイドが人懐っこく笑いかけていた。
「ティーカップ触るの、初めてじゃなさそうなんだもん。大体初めての子って、腫れ物みたいに扱うんだよ」
「ああ確かに……私も最初はそうでしたわ」
下手な嘘をつく理由もない。ティーカップを配膳台に戻し、珠乃は正直に教えた。
「紅茶を淹れた経験はあります。前にいたところで使っていましたの」
この格好で『前にいたところ』と言えば、普通は奉公先を思い浮かべるだろう。実際目の前の同僚はそのように受け取って、
「どうりで。立ち居振る舞いとか話し方とか、ちゃんと教育されてるなぁと思った」
と丸い目を潤ませた。顔立ちも声も愛らしく、雰囲気が小動物……兎のようだ。
「紅茶について詳しいなら、わたしにいくらか教えてくれない? 来週の茶会、ちょっと不安なの」
「もちろんいいですけれど。先輩に、私から教えられることがあるかどうか……」
「いいんだよ。わたしが知ってたって、確認になるし。その代わり、当日の流れとか一通り教えるから」
「いいのですか?」
「うん」
彼女は無邪気にうなずいた。
「朱ちゃん初めてなんだし、一緒にやろうよ。もちろん初めてでなくたって、いろんな仕事を二人でしよ?」
彼女が喋る度に、二つに結んだ髪が肩の辺りを跳ねる。三つ編みにはしておらず、その垂れ耳のような髪型はやはり兎だ。
「わたし、かえっていうの」
「かえさん」
珠乃が名前を呼ぶと、兎は耳を横に振った。
「呼び捨てでいいし、敬語もいらない。元々敬語なんて使ってなかったから、八祥寺家の皆様との受け答えだけでお腹いっぱいなの」
裏のなさそうな口ぶりだ。志摩子のような意地悪を疑っていたらキリがないし、相手にも失礼なので、珠乃は距離を縮めることにした。
「なら、かえちゃん」
「はーい」
かえは嬉しそうに応じると、配膳台の水差しへ手を伸ばした。中身は冷水のはずだが、慣れた手付きでそれをティーポットに注いでいく。紅茶の出涸らしをつくる気だ。
「この間メイドが二人辞めたばっかりだからさ。朱ちゃんみたいな子が入ってくれて嬉しいな」
「ああ。その話は私も小耳に挟んだけど……何があったの?」
「知らないの?」
話しながら、かえは戸棚から未使用のティーカップを取り出した。珠乃は一瞬ひやりとしたが、メイドの味見用で取ってあるのだろう、小さく安価なものだ。
「ええ。入ったばかりよ、私」
「それもそうか」
珠乃の返事にかえはへらりと笑んだ。その間にもティーポットの中では、なけなしの色味が水に溶け出している。それを遊ぶように揺すりながら、かえは可愛らしい口で語った。
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