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「えっとねぇ、前に一緒に働いていたメイド……年は十七と二十歳なんだけど、どちらが和紫様のいい人なのかで、取っ組み合いの喧嘩になったの」
「メイドなのに?」
「うん」
かえの表情は笑ったままだ。話の方向に嫌な予感を抱きながら、珠乃はおそるおそる踏み込んだ。
「結局、どちらがいい人だったの?」
「どっちも」
「……あっ」
思わず固まった珠乃を、かえはおかしげに見た。
「どっちもだったの。和紫様、女癖がものすごーく悪いのよ」
「……ちょっと失礼するわね」
珠乃は配膳台の前にしゃがむと、両手で顔を覆った。一人であれば、絶対に叫んでいた。婚約解消になってよかった――!
当然声には出せず、珠乃は代わりに大きな溜息を吐く。縁切れのくだりはさておき、そんな男と添い遂げることにならず本当によかった……。家のための婚姻に文句はないが、珠乃にも最低限の理想はある。
「やっぱり朱ちゃんも苦手?」
「ええ、とても好ましいなんて言えないわ。……かえちゃんは違うの?」
声の調子からしてそのようだ。珠乃がしゃがんだまま顔を上げると、かえは乙女らしく頬を染めた。
「うん、わたしはスキ」
ここでかえは好きではなくスキ、という発音をした。
「品のある遊び人って素敵じゃない? お金もあるし顔もいいんだもん、わたしは和紫様が一番好き。……といってもわたしは、お手付きになったことはないんだけど」
「そ、そうなの……」
珠乃は配膳台を支えに立ち上がった。気が付けば、一対のカップに紅茶が注がれている。その片方をひょいと持ち上げ、かえは夢見る表情で言った。
「あーあ、和紫様の専属メイドになりたいなぁ。そのうち奥様をお迎えするんでしょうけど、それでもいいの。こっそり妾にしてくれれば」
「……ごめんなさい。私の知らない世界なものだから、目眩がしそう」
というより、すでに視界が揺れている。
「朱ちゃん、純粋そうだもんね。和紫様が苦手だったら、あんまり近付かない方がいいよ。……あっ、別に恋敵を減らしたいとか、そういう意味じゃないからね?」
「うん。……大丈夫よ」
自分からわざわざ近付こうとは思わないので、それでもまったく問題はない。珠乃は気付けのつもりで、かえのつくった一杯をいただいた。出涸らしの割に味が濃い、紅玉色のアールグレイだった。
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