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【6】マンジュリカの懊悩(一)
ティーパーティーに紛れ込んだのだと彼は言った。
「バイオリンケースは偽装ってこと?」
「ああ。俺は楽器弾けないし、あの中身は空だったよ」
「そう……落としてしまわないかと、ひやひやしたわ」
あのケースの振り回し方といったら、悲鳴を上げたいほどに危険だった。もし中に楽器が入っていたらと思うと、珠乃は思い返しても寒気がする。
「それで……そうだな、どこから話していくべきか」
「そもそも、ここで話していい内容なのかしら」
珠乃は首を巡らせ、辺りの様子をうかがった。少年を包む薄闇、自分の背後。部屋の壁は厚いことが分かっているが、扉の方はどうだろう。
「あんたの部屋にでもしとく?」
「あり得ない。お断りします」
「だよね。俺も無理だよ、あの人に怒られる」
頓着なく笑う彼は、警戒する珠乃をからかっただけだった。珠乃が眉を寄せて見下ろすと、
「あの手紙、郵便局を介してなかっただろ?」
と今の間に定めたらしい、話の入口を提示する。
「ええ、そうね」
ぱっと眉根を離し、珠乃はそこに乗っかった。例の手紙には切手や消印の類いはなく、どうやら熱海の小さな家に、直接届けられたようなのだ。
「あんたの療養地をわざわざ調べて、ついでに手紙を届けてやったのは俺だ」
「つまり、差出人は別にいらっしゃるのね」
届けたことを強調するあたり、書いた人間は別にいるのだろうと珠乃は考えた。さしずめ、今しがた彼が言った『あの人』か。
「そういうこと」
彼は得意げに顎を上げつつ、珠乃の部屋に飾られた菖蒲の花に目を留める。丁寧に扱われていることを知り、彼の最初にあった不遜な目つきは、ほんの少しやわらいだ。
「俺が今日八祥寺家に潜り込んだのは、普通に内情を探るため。そしてあの人の言いつけで、あんたの様子を確認するためだった」
「そんなこと言って、私に見つかったときは逃げたではないですか」
「あんたがこちら側を知ることはないかな、って思ってたんだよ。あの人からは接触してもいいなんて言われなかったし」
「先にお聞きしますけれど。『あの人』というのは、菖蒲の手紙の差出人ですわね」
「ああ」
「菖蒲のお花も?」
「そう。当人は別の言い方してたけど……あれはあんたへのプレゼントだった」
別の言い方? 珠乃は小さく首をかしいだが、わざわざ英語に直す少年に教える気はないらしい。
話の続きを躊躇した彼を、珠乃はまっすぐに見た。
「知りたいですわ。私にこの手紙をくださった方を」
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