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裏門から八祥寺家に戻ると、珠乃と同じように外出していたらしい、私服姿の他のメイドとかち合った。
「あら。お高そうな西瓜ね」
小さな籠バッグに、タンポポ色の紗の着物。薄くなだらかな眉を下げ、外見だけは控えめな志摩子はそう言って珠乃に近付いた。
「今度は誰に取り入ったのかしら?」
「……どういう意味でしょうか?」
珠乃が進路を変えてかわそうとすると、志摩子はわざわざ正面に回り込んできた。
「藤二様にずいぶんと気に入られているみたいじゃない」
先日の茶会の最後に関してだ。宿舎に下がった珠乃をそのまま休ませるように取り計らった藤二の話は、当然志摩子の耳にも入っている。
「誤解ですわ」
珠乃だって驚いたのだ、あの言伝は。目を伏せがちに言うと、志摩子は反対にまなじりをつり上げた。
「誤解なわけあるもんですか。貴女がここに来た日から、藤二様は可笑しいくらいメイドに気を配るようになったのよ」
今までそんなこと一度もなかった、と志摩子は苛々した口調でこぼす。志摩子は今いるメイドの中では一番の古株で、菫の専属としても仕えている。その彼女が言うことならば本当に違いない。
「どうせ藤二様も、貴女を家のことに口出しするためのだしにしているのでしょうけれど。あんまり調子に乗っていると、貴女、痛い目見るわよ」
志摩子はきつく言い募ると、珠乃が持つ西瓜にバッグを打ち付けた。
「これは先輩からの忠告なんですからね? どうか勘違いなさらないで」
彼女は薄く笑うと足の向きを変え、宿舎の方に歩き出す。幸い傷はない。珠乃は果皮の表面を労るように撫でると、すう――と息を吸った。
「――差し出がましいようですが」
振り向いた志摩子の面を、珠乃はじっと見る。
「藤二様がお家のためにメイドを采配するのであれば、それは道理にかなっていることですわ。私たちがどうこう言うお話ではありません」
それが主家のためになるのであれば、自分はだしでも何でもよい――朱としては、そう思っている。
「それから、私から藤二様に何かを申し上げたことはございません。……この西瓜も、何の関係もありませんが、私が自分で買ってまいりました」
自分の口を動かしているのは矜持だ。まだ未熟であるから自負ではなく、あくまでこうありたいと願う、自分の意志。
「誰かに取り入るようなやり方を、私は知らないのですわ。――志摩子さん」
珠乃が言い切って微笑むと、志摩子はどう受け取ったのだろう、途端に顔を紅潮させた。
「――青いのね。とても不味そう」
志摩子は口の端を歪め、それだけ吐き捨てて去って行った。
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