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【1】大正華族の摘まれ花
その葉陰は深く、濃紫の色をしていた。
六月半ば。彼女の木が淡い小花を開かせた、目まぐるしい変化の候。
夏の気配をふくんだ気ままな日差しを遮って、珠乃の頭上を剣呑な影が覆った。
「もうこれ以上、私の家に近付かないでちょうだい!」
地面に尻もちをついた姿勢で、珠乃はその罵りを浴びた。手のひらが熱くしびれている。今しがた自分を突き飛ばした娘の声は、いやに甲高く、耳に付く。
「疫病神……!」
悲鳴に変わった声と共に、振り上げられた腕、そして頭上の影が動く。叩かれる、と珠乃は反射的に頭を屈めた――が、準備されたものを考えると、受けるのは暴力ではないのだった。
大きく下ろされた手は、真砂のような小さな粒を、珠乃の全身に降らせた。
「そんな。私はただ……」
珠乃は弱々しく睫毛を震わせ、目を上げた。結いのほつれた髪を触ると、ざらりとした不快な感触が指に引っかかる。
持ってきなさい、と使用人に命じたのは聞こえていたけれど。まさか本当に塩を撒くとは思わなかった。
頬の強張った珠乃を見下ろし、相手の娘は華族の令嬢らしからぬ卑劣な笑みをつくった。
「今度は何を企んでいたのやら。これに懲りたら、もう二度とうちには来ないことね」
企んだつもりはなかったし、この家を自ら訪れたのは初めてだ。今度は、とはどういう意味だ?
「手紙を受け取ったのです」
珠乃は身の潔白を証明しようと、着物の懐からそれを出そうとした。
「手紙? ……八祥寺家の人間があなたに何かを出すなんて、あり得ないわ」
「分かりません」
差出人が不明なのだ。
「八祥寺家に関係された方なのか、そうでないのか。私には分かりませんが、どなたかが教えてくださったのです。私の父と母のことを知りたければ――」
「やめてよ」
齢十四の令嬢は、驚くほど冷たく拒絶した。
「もう来ないで。……来ないで!」
そう叫び、華奢なブラウスの袖を激しく振る。もう塩は撒ききったというのに、まだ何かをぶつけ、珠乃を遠ざけようと必死である。
彼女の激しく取り乱した様に、珠乃は怒りよりも恐怖を感じた。着物の衿に手紙を挟めたまま、相手を刺激しないようにゆっくりと立ち上がる。
近くにいた使用人……先ほど清め塩を調達してきた従順な女中だが、彼女もまた主人の容態を異常と見たのだろう。三人がいる正門よりも内側、八祥寺家の敷地内を横切る人影にすがるように声をかけた。
「和紫様! どうか妹君を助けてくださいませ!」
ちょうど良いところになのか、よりによってなのか。
何事かと近付いてくる洋装の青年に、珠乃はどんな顔をしたらよいか思い悩んだ。
「菫……と、珠乃さん?」
肩で息する妹を一瞥し、和紫は正門前に佇む珠乃の姿をみとめる。深い関係だったと珠乃は思わない。が、間違いなく顔見知りで、数度はダンスを踊り交わした仲だった。
「何これ、どういうこと?」
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