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薬も美味しいものも、摂りすぎると害になる。 でも、人は過剰に欲しいてしまう。 いつも、何かに飢えていて満たされないからなのかもしれない。 私は、かつていつも時間がなかったことがあった。 ほんの少し出来た時間に、出来る限りの食べ物を体に詰め込み、寝る時間を削り、与えられた場所を守るために戦っていた。 私一人なら、捨てられるものも、多くの柵(しがらみ)につながると、そうもいかないからと、若い私はそう思い込んでいた。 自分を一番大切にする。 それを、人は忘れがちになる。 私も、それを忘れてひたすらひたすら自分を痛めつけて、それに快感を覚えてひたすら走っていた。 時間がないのは、自分がそれを選んだからなのに、仕事と会社のせいにして自分の時間を捧げていた。 捧げる自分に酔いしれている。 私だけじゃなく、そういう人が多いと思う。 酔いしれている間、なんとなく生きている実感ができるから。 ある時、風邪を引いた。 健康なら、3日もすれば簡単に治る。 会社と仕事という幻覚は、そのために自分を捧げろと人間を追い込むから、病気になっても病院に行く時間をも、惜しげもなく仕事と会社につぎ込み、安易に市販薬に手を染めさせる。 食べ物にもフィルターがかかり、それさえも私を作っていた。 仕事を同じように纏っていた私よりほんの少しだけ、マシな麻痺をしていた上司が、見かねて地に足をつけたまともな椅子に私を座らせ、安い弁当を食べさせた。 何日かぶりの、自社製品以外の食事だったけれど、久しぶりに人間界の味を思い出した瞬間だった。 少し多いその弁当を、残さず食べた。自分の許容範囲以上に。それだけ、本当の体は欲していた。正しさを。 ある日ニュースを見て、私と同じ袋小路に迷い込んだ人が、たかが市販薬、されど市販薬。そんなもので死んだ。 たかが風邪で。そのへんで手に入る薬で。 飲み続けた日数はほんの数日の差。もうひとりのどこかの私。 薬が害になった。 お金を持ってくる、仕事が害になった。 誰かが、多分、その人の親や兄弟や見えない身近な存在が、 「どうしてこんなになるまで、お前は頑張りつづけたんだ・・・。」 と責めたとしても、見ず知らずの名前だけしか知らないその人へ、私は感謝する以外になかった。 月日は流れて、今も生きている。 柵を少しでも多く捨てて、今、少し不自由を感じながらも生きている。 耳にイヤホンをつけ、外からの声を遮って。 興味のなかった音楽を聞いて、世界を作る。 どんなに武装して投げられた言葉も、遮ってしまえば私の元へと届かない。 そして、耳から聞こえてくる音と言葉は、癒やしだ。 そして救い。心地よい声とともに包まれて、今日を大切にしなければと思う。 そして、その反面簡単に言葉は牙を剥く。 使う文字を一つ変えるだけで、血の出ない傷をいくつも作り、そして蝕む。 悪い言葉は悪いものをどんどん集めだし、そして大きくなる。 それらは、人からこぼれ落ちることが多いのに、弱った体は何でも欲する。 食べ物と薬とともに。 言葉もそこに蓄積される。 それぞれを毒に変えて。 そうならないうちに、手を差し伸べようと思う。 蝕まれたことのない人は、その手立てをしらない。 かつて蝕まれたからこそ、迷い込んだ偽りの正常に気がつける。 なぜなら、食べ物も薬も言葉も生きるために必要で、健康なら取り入れすぎないで済むものだから。 健康な人は勝手に距離を置き、付き合い方を知っている。 程よく接し、程よく摂する。 どれもこれも、程よくしていれば毒にはならない。 でも、一度迷い込んだら蝕まれていく。 心をも支配していくから、戻りにくい。 薬と食べ物と、言葉の違いはその外をなすものを病のように伝播させていく。 自分たちが駆逐されないように、他人にも自分にも嘘をつく。 手を差し伸べよう。手遅れになる前に。抜け出すのも、そこにとどまるのもその人次第だけれども、なすすべがないからくる諦めが作る居心地の良さという毒に侵される前に。 なすすべがない幻想は、思っている以上に何とかなることを知ると、痛みとも程よく付き合えられる。 成すすべがないところに、切り込むと外皮が大きければ大きいほど、傷を負う。 まだ、到達出来ない言葉で覆われたところでも手をできるだけ深く差し伸べよう。 まだ生きているのだから。 正義という真っ当な毒に侵されていることも知らずに、今日もたくさんの刃が飛び交っている。 その差し伸べられた手が本物なのか、害をなすものなのか知らされずに飛び交っている。 差し出す自分、手にとる自分。そうやってまた今日を生きる。
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